今日のできごと


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2024/11/9(土)

 

互いに戒め合う

1.誰もが罪人だから必ずどこかで罪を犯してしまう

 人間は、例外なく罪人です。
 ですから誰もが、必ずどこかでその罪を言動で現してしまいます。
 人を嫌ったり、怒ったり、憎んだり、恨んだり、蔑んだり、嘲ったり、罵ったり、

 ねたんだり、見栄を張ったり、自慢したり、傲慢になったり
 浮気をしたり、痴漢をしたり、好色に走ったり
 詐欺をしたり、人のものを盗んだり、恐喝したり、

 嘘を言ったり、事実を誇張したり、事実を隠したり、陰口を叩いたり
 貪欲になったり、見栄を張ったり、自慢したり、傲慢になったりしてしまうのです。
 完璧に罪を犯さずに生きられる人は、何処にもいないのです。

 どこかで必ずその罪が、行動に出てしまうのです。

2.すべての人に罪を戒めてくれる人が必要

 ある場合は、自分の犯している罪に気づかない場合があります。
 またある場合は、これ位の罪なら大丈夫だろうと思ってしまう時もあります。
 または確信犯で、悪いとわかっていながら罪を犯していまう時もあります。

 その時、その罪を戒めてくれる人がいるのといないのとでは大違いです。
 そこに強烈に戒めてくれる人がいれば、容易に罪から離れ去ることができます。
 誰も戒めてくれる人が居ないと、その罪が継続するだけでなくエスカレートします。

 ですから、誰もが「戒めてくれる人」を必要としているのです。

3.戒める側の人も、戒められる側に回ることが必ずある

 ただし、戒める側の人も、人が罪を犯した場合は「戒める役割」を果たしますが
 自分が罪を犯した場合は、「戒められる側」にまわることになります。
 学校の先生と生徒のように、一方的に先生が生徒を戒めるという形ではないのです。

 今は戒める側であっても、今度は戒められる側になったりするのです。
 その繰り返しをしながら、互いに罪を犯しにくい生き方を会得していくのです。
 「自分も罪人だから、人を戒めることなどとてもできない」と思ってはなりません。

 人を戒める時には、自分が罪人であることなど無関係なのです。
 人が罪に陥っている時は、そこから抜け出せるよう助けてあげる必要があるのです。

むすび.一方的にではなく互いに戒め合うことが必要

 イエス・キリストの命じられているように、互いに戒め合うこと、
 それこそが、愛の交わりなのです。
 「戒めるだけの役割の人」など、世界中どこを探してもいません。

 戒めながらまた、自分も戒められねばならないのです。
 「戒められるだけの人」も世界中どこを探してもいません。
 ある場合は、人を戒めることをしなければならないのです。

 「互いに」戒め合うのです。
 これこそが、神の求めておられる真実な愛の関係なのです。
 戒め合わないと、罪からなかなか抜け出せなくなってしまうのです。

 【今日の聖書】
 兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、
 互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。
 ローマの信徒への手紙 15章14節


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