思い切ってささげたクリスチャン
キリストが天に昇られ、その後聖霊が降って教会ができた時
そこに人々は集まってはいましたが、確かな財政基盤はありませんでした。
その財政基盤は、その後の献金によってまかなわれているのです。
土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、
使徒たちの足もとに置き、そのお金を必要に応じて、
おのおのに分配したのです。すごいささげ方をしていたのです。
その結果、どうなったでしょうか?
信者の中には、一人も貧しい人がいないという状態になったのです。
その日の食べ物にも事欠くということになれば、命にかかわってきます。
しかし愛の献げものによって、貧しさは補われ衣食住が確保されていたのです。
愛することが具体的な行動に現れ、自分の持てるものをささげて助けていたのです。
キプロス島生まれの、「バルナバ」と呼ばれていたヨセフもそうでした。
彼は、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いています。
「バルナバ」というのは「慰めの子」という意味ですから、隣人愛にあふれていたのでしょう。
彼は、惜しみなく神の教会のために思い切って献げているのです。
もしあの時、思い切って献げるという愛の行動がなかったとしたら、
教会の中にいた貧しい人々は、衣食住を求めて散って行ってしまっていたことでしょう。
思い切って献げたクリスチャンたちの愛の行動が、教会の存続のために
大きく貢献していたことは、間違いないのです。
そしてまた、教会に大きな慰めを与えていたに違いありません。
そしてその教会を通して、神のみわざが前進していったのです。
【今日の聖書】
信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。
土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、
使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、
おのおのに分配されたからである。
たとえば、レビ族の人で、
使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、
キプロス島生まれのヨセフも、
持っていた畑を売り、
その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
使徒言行録 4章34〜37節