厳しい指導で悔い改めたのではなかった
「ザアカイ、お前はなぜ税金を不正に取り立てているのか?」
「ザアカイ、お前はなぜ自分のためだけに蓄財しているのか?」
「ザアカイ、お前はなぜ貧しい人に施さないのか?」
「お前のやっていることは、良くないことだからすぐにやめなさい」
このような、叱責の言葉をかけられても当然のことをザアカイはしていました。
このザアカイに出会った時、イエスは何と言われたでしょうか?
イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
ルカによる福音書 19章5節
彼の罪を、とがめていなかったのです。
罪を犯しているザアカイに、厳しい言葉をかけるのではなく優しく語ったのです。
まるで悪いことなど一つもしていないかのように、優しく語っています。
この愛の言葉が、ザアカイを自ら悔い改めに導いているのです。
悔い改めというのは、自発的にするものです。
言われたから渋々するものでも、叱られたからやむを得ずするものでもありません。
叱りつけることが先行すると、人は心を固く閉ざしてしまいます。
心を開かせ正しくさせるのは、真実な愛なのです。
罪人のまま愛するという、その愛こそが人を罪から解放し立ち直らせるのです。
【今日の聖書】
イエスは言われた。
「今日、救いがこの家を訪れた。
この人もアブラハムの子なのだから。
人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
ルカによる福音書 19章9〜10節