一生懸命聖書を学んでいたのに
ファリサイ派の人々や律法学者たちは、熱心に聖書を学んでいました。
聖書を学び聖書を教えることに熱心なあまり、「自分は聖書を学んでいるから、
正しい人間なんだ」と、思い違いをしてしまったのです。
私たちも聖書を読み学んでいると、自分はこんなに聖書を学んでいるから
正しい人間なんだと、勘違いしてしまいがちです。
別に聖書を一生懸命読んだ所で、私たちが正しい人間になるわけではありません。
どんなに聖書を一生懸命読もうとも、人間の罪は消えないのです。
自分の努力では、正しい人間になることなど誰もできないのです。
私たちを正しくしてくださるお方は、イエス・キリストただひとりです。
イエス・キリストを心に迎える時に、私たちは正しい人とされるのです。
イエス・キリストを心に迎えることなしに、どんなに沢山聖書を読み学んだとしても
正しい人にはなれません。永遠の滅びに向かってまっしぐらです。
正しい人になる方法は、イエス・キリストを心に迎え入れる事だけです。
人間の力や努力では、どうしても正しくなり得ないのです。
ファリサイ派の人々や律法学者たちの間違いは、ここにあったのです。
【今日の聖書】
なぜなら、律法を実行することによっては、
だれ一人神の前で義とされないからです。
律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
ところが今や、律法とは関係なく、
しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
すなわち、イエス・キリストを信じることにより、
信じる者すべてに与えられる神の義です。
そこには何の差別もありません。
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、
神の恵みにより無償で義とされるのです。
ローマの信徒への手紙 3章20〜24節