天の報いを望みつつ
私たちの人生で、いろいろなことをすることと思いますが
それらすべてにおいて、報いがあると言われています。
地上の人生が終わると、わたしたちは皆キリストの裁きの座の前に立つことになります。
そして、善であれ悪であれ、
めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
報いを受けることになります。
キリストを信じて、キリストを心に受け入れていれば
悪い行いを裁かれることはありませんが、良い行いに対する報いはあります。
良い行いを行ったことの報いもあるということを、心にとめるべきです。
悪いことを行っている時は、その時間良い行いをしていないわけです。
当然、人生のその時間に対する報いが何もないことになります。
悪いことをやってもゆるされるからと、油断して生きるのではなく、
出来得る限り善いことを、自ら選択して生きていく
そういう人生でありたいと願っています。
【今日の聖書】
なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、
めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。
コリントの信徒への手紙二 5章10節