イエスの命がこの体に現れる
「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています」
と、パウロは語っています。
それは「イエスの命がこの体に現れるためなのだ」と、パウロは説明しています。
パウロの身体に、イエスの命が現れるために
パウロ自身の命が、「イエスと共に死んでいるのだ」ということを
言っているのです。
自分自身のうちにイエスの命が現れると、どういうことが起きるのか?
自分のうちに、イエスが生き生きと働かれることになります。
イエスのうちには癒しがあり、力があります。
そのイエスが、自分のうちで生き生きと働かれると何が起こるでしょうか?
イエスのいやしのわざや、イエスの力あるわざが
自分を通して、実現することになるのです。
まるでイエスがいやすように、人をいやし
まるでイエスが働いているかのように、力あるわざを行い、
まるでイエスが愛しているかのように、人を愛することができるようになります。
初代教会の、ペトロやパウロやヨハネやフィリポやステファノなど
多くの人々が、そうでした。まるでイエスのなしたかのように、
病人をいやし、死人を生き返らせ、悪霊を追い出しながら、福音を伝えているのです。
そのように、イエスの命が自分自身の上に現れるためには、
まず自分に死ぬ必要があります。自分に死んで生きていく時、
キリストの命が、自分自身のうちに確実に現れていくのです。
【今日の聖書】
わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、
イエスの命がこの体に現れるために。
わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、
死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。
コリントの信徒への手紙二 4章10〜11節