的を射た働きをして苦難の連続
1.パウロは多くの苦難を経験した
パウロは聖霊の導きによって、異邦人伝道に導かれました。
アンティオキアの教会を出発して、少なくとも3度の伝道旅行を成し遂げ
最終的にローマへ連行され、ローマの地でも宣教をしています。
しかしパウロはその間、実に様々な苦難にあっています。
なぜでしょうか?彼が罪を犯していたからでしょうか?
パウロに何か隙となるものが、あったからでしょうか?
2.パウロの苦難は彼の罪に起因していなかった
違うのです。パウロが何か罪を犯し続けていたから
そこにサタンが付け込んで、苦しみにあわせていたというわけではありません。
パウロが主に従って、キリストを伝えていたからこそ苦難が続いていたのです。
パウロの苦しみは、パウロが罪深かったからではなかったのです。
3.神に従って苦難を受けた人々は多い
苦難と罪深さは、連動していません。確かに自業自得の苦難はあります。
しかしパウロをはじめとして、エジプトに売られたヨセフ、
サウル王に命を狙われていたダビデ、
神の言葉を人々に告げたがゆえに、命を狙われたエリヤをはじめとする、
旧約聖書の数々の預言者たちは、主に従ったゆえに、苦しみを受けていたのです。
むすび.苦難は罪の故ばかりではない
なんでこんなに苦しみがやってくるのだろう?
私は何か、罪を犯して気づいていなかったのか?
罪を隠していて、そこを足掛かりにしてサタンの攻撃を受けているのだろうか?
確かにそういうこともあります。
けれども、神に従って正しいことをしているがゆえに
苦難が続く、ということもあるのです。
【今日の聖書】
キリストに仕える者なのか。
気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。
苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、
鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。
ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。
鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。
一昼夜海上に漂ったこともありました。
しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、
町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、
苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、
寒さに凍え、裸でいたこともありました。
このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、
あらゆる教会についての心配事があります。
コリントの信徒への手紙二 11章23〜28節