行き先も知らずに出発した
1.アブラハムは行先も知らずに旅立った
アブラハムの信仰には、私たちが見習う点が多くあります。
そのうちの一つに「行き先も知らずに出発した」という
信仰があります。神の言葉に従って、行き先も知らずに出発しているのです。
普通、旅行でも転居でも、行先を決めてから出発するものですが
アブラハムの場合は、違っていました。
神が「旅立ちなさい」と言われ、そのまま旅立ったのです。
2.アブラハムは約束の地へ着くまで信仰の旅を続けた
その時にはまだ、行先がわかっていなかったのです。
「一体、どこに行くことになるのだろうか?」
という素朴な疑問は、いつも彼につきまとっていたと思います。
しかしアブラハムは、主の声に聞き従って
最後まで旅を続けています。
そして最終的に、カナンの地へたどり着いたのです。
3.神はあえてアブラハムに行先を告げられなかった
そここそが、神がアブラハムに与えようと定めておかれた
乳と蜜の流れると言われた「約束の地」だったのです。
行先をはじめから告げずに、神はアブラハムを導かれたのです。
あえて行先を告げないことによって、アブラハムの信仰が明確に表されています。
行先を告げていたら、「行先を告げられなくても神に従います」という
アブラハムの信仰は、見えてこなかったはずです。
あえて行先を告げられなかったからこそ、このアブラハムの信仰が
明らかにされていったのです。
そしてその信仰が、現代に生きる私たちを励ますのです。
むすび.将来が見えない時こそ信仰を働かせる時
「行先がわからない!」「将来が見えない!」
「この先どうなるのだろう?」「本当に大丈夫だろうか?」
「ほかの人と違って自分だけがこんな歩みを続けている...」
そういう時こそが、信仰を働かせる時なのです。
これは、アブラハムに限らないのです。
21世紀に生きる私たちにも、当てはまることなのです。
必要なのは、信仰です。
アブラハムの信仰に、ならうのです。
信仰がなければ、神に喜ばれることはできないからです。
【今日の聖書】
信仰によって、アブラハムは、
自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように
召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。
ヘブライ人への手紙 11章8節