わからなかったので思い悩んだ
1.使徒たちはイエスの復活の話を信じられなかった
イエスが復活されたその日、イエスの墓に行った婦人たちは
「イエスが復活した」と天使に告げられたり、イエスに直接出会ったりして
イエスの復活を知る事になります。
しかし、それを伝え聞いた使徒たちは信じられませんでした。
それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、
そして一緒にいた他の婦人たちであった。
婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。
ルカによる福音書 24章10〜11節
使徒たちは、婦人たちが体験的に知った事実を
事実として、受け止められなかったのです。
「たわ言」すなわち「ばかげた話」と、とらえてしまいました。
2.クレオパ達も訳が分からずにいた
ちょうどこの日、クレオパともうひとりの弟子が、
エルサレムから、エマオという村へ向かって歩きながら、
この出来事を、話し合っていました。
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れた
エマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。
ルカによる福音書 24章13〜14節
しかし彼らは、一体今何が起こっているのか、理解できていませんでした。
イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。
「ナザレのイエスのことです。
この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。
それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、
十字架につけてしまったのです。
わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。
しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。
ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。
婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。
そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。
仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、
あの方は見当たりませんでした。」
ルカによる福音書 24章19〜24節
まとめると以下のようになります。
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イエスは行いにも言葉にも力ある預言者だった
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イエスこそイスラエルを解放してくださると望みをかけていた
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イエスは十字架につけられてしまった
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今日で三日目になるが仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせた
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天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言う
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仲間の者が何人か墓へ行ってみたが墓の中は空だった
3.イエスが説明してやっと理解することができた
ふたりはイエスから、歩きながら聖書のメシア預言について教えられます。
そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、
御自分について書かれていることを説明された。
ルカによる福音書 24章27節
さらに、食事の席で彼らと共に歩きながら説明してくれていた人が
よみがえられたイエスだと、気が付くのです。
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、
賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
ルカによる福音書 24章30〜31節
彼らは、イエスこそ聖書に預言されている通りのメシアであったということを理解したのです。
むすび.クレオパ達は、わかっていなかったので思い悩んでいた
クレオパ達が思い悩んでいたのは、聖書のメシア預言をきちんと理解していなかったからです。
救い主が死んでよみがえるということが、わかっていなかったのです。
もし正しく理解していれば、婦人たちの話を聞いた時点で信じられたはずです。
「そうか!やっぱりイエスは、聖書の預言通りの本当の救い主だったんだ!」と
信じることができたはずでした。
しかし、ちゃんと理解できていなかったため混乱してしまったのです。
悩んでしまうことになってしまったのです。
私たちも、今実際に何が起こっているのか、事実がつかみ切れないと思い悩んでしまいます。
なぜ、こんなことが起きているのだろうか?
一体これは、どういうことなのだろうか?
これが往々にして、思い煩いの原意になってしまうのです。
真実を知っている方はどなたでしょうか?
神ご自身です。
真実をすべてご存知の方に、真実を聞くのが一番確実なのです。
わからないことを、理解できるように祈るのです。
【今日の聖書】
そこで、イエスは言われた。
「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
ルカによる福音書 24章25〜26節