突然の昼間の停電
今日はIoTプログラミング教室で、ボランティア講師をしていましたが
みんなで、
マイクロビットのプログラミングをしていた時
3時過ぎ頃、突然施設のすべての電気が切れました。
ブレーカーが落ちたか?と思い、ブレーカーを見に行ってくれた方からは
別に落ちていないということで、停電かもしれない?ということでした。
今度は別の方が、外の自販機を見に行ってくれたのですが大丈夫とのことでした。
別の方が、
中国電力のサイトを見てくれていたのですが
どうも停電らしいということで、停電エリアの境界になっているようでした。
そしてこの停電ですが、10分経っても続いていたので教室はそこまでで終わりにしました。
幸いノートパソコンを使用していたため、パソコンはそのまま使えたのですが
ルータがダウンしたため、ネットに接続できなくなり
ブラウザ上で動作するマイクロビットのプログラミングは、やめざるをえませんでした。
IoTだ、プログラミングだ、などと注目されてはいますが
ひとたび停電が起きると、何もできなくなってしまうことを体験しました。
結局1時間ほどで復旧したのですが、長いところでは夜の7時過ぎまで停電していたようです。
電気が来ていて当たり前の生活をしていますが、逆に言えば停電したら
照明も、エアコンも、レンジも、炊飯器も、給湯器も使えなくなって、料理もままならず
これが2日3日続いたら、どうなってしまうのだろう?と、考えさせられました。
ATMでの出金ができなくなり現金が枯渇し、かといって電子マネーも使えず
スマホも充電切れで使えなくなり、オンラインでの買い物も振り込みもできなくなり
メールもラインもつながらなくなって、コミュニケーションができなくなり
電車は動かず、EVは充電できず動かなくなり、エレベーターも止まり
移動も、ままならなくなってきます。水道も止まってしまうのではないでしょうか?
このように生活のありとあらゆる面に、大きな支障をきたすことになってきます。
私たちが生活している社会は、電気のお陰で非常に便利になっています。
しかし、電気が供給されなければ生活そのものが成り立たなくなっているのです。
非常に危うい基盤に立った生活をしていると言っても、過言ではないでしょう。
電気を基盤にして便利さや快適さを追求し、豊かな生活をしようとすることは
実は真の豊かな生活ではなく、非常に危うい生活をしようとしている事になるのです。
ちょうどそれは、砂の上に建てられた家に住もうとするようなものです。
真の豊かさは、神の元にあります。
神こそ、知恵においても力においても愛においてもすべての良いことにおいて豊かなお方です。
神を求めて生きることこそ、真に豊かに生きることになるのです。
神を求めずに豊かさを求めることは、実は非常に危うい生き方をすることになってしまいます。
この世で大変な思いをするばかりか、死んだ後それこそ抜け出すことのできない
大変な苦しみの極みの状況に、陥ることになってしまいます。
私たちは便利さ快適さを追及するのではなく、神をこそ求めて生きてゆくのです。
【今日の聖書】
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
マタイによる福音書 6章33節