今日のできごと


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2022/11/14(月)

 

父イサクをだましたヤコブ

1.ヤコブは父をだまして、兄の受けようとしていた祝福を奪い取った

 ヤコブは、父イサクをだましました。

 ヤコブは言った。
 「長男のエサウです。
  お父さんの言われたとおりにしてきました。
  さあ、どうぞ起きて、座ってわたしの獲物を召し上がり、
  お父さん自身の祝福をわたしに与えてください。」
 創世記 27章19節

 ヤコブは、兄エサウのふりをして父イサクの元に行き
 兄エサウが受けようとしていた祝福を、奪い取ってしまうのです。
 その結果、エサウが怒ってヤコブを殺そうと企みヤコブは逃げることになりました。

2.ヤコブが父をだましたことは、正しい行動ではなかった

 エサウにも、「長子の特権を軽んじる」という罪がありましたが
 ヤコブの、「長子の特権を兄のふりをして騙して奪い取る」という行動も
 今でいう「詐欺罪」と同じで、決して正しいことではありません。

 それは、父イサクに対しては「嘘をつくこと」であり
 兄エサウに対しては、彼のものを「盗むこと」でした。
 元々は母リベカが企てた計画でしたが、実行したのは本人です。

 母リベカも、「教唆の罪」で問われることになりますが
 だからと言って、教唆されたヤコブが無罪になることはないのです。
 ヤコブのしたこと自体は、れっきとした罪であり悪いことだったのです。

3.正しい行動ではなかったが、ヤコブが祝福を受け継ぐことになった

 父をだまして奪い取った祝福で、ヤコブ自身は祝福を受け取ってしまいます。
 たとえるなら、父親が兄のために買ってきたケーキを弟が食べてしまったようなものです。
 その甘さや美味しさは食べた弟だけが味わうことができ、兄は決して味わえないのです。

 エサウは父に叫んだ。
 「わたしのお父さん。祝福はたった一つしかないのですか。
  わたしも、このわたしも祝福してください、わたしのお父さん。」
 エサウは声をあげて泣いた。
 創世記 27章38節

 父をだまして祝福を奪い取ったから、祝福が無効になるということはありませんでした。
 それはちょうど、「ケーキをだまし取って食べた」からと言って
 「ケーキの味や栄養はなくならない」というのと、同じことです。

 「それでは、だました方が得ではないか?」
 「だまされた方が、損ではないか?」
 「それはおかしい!」ということにならないのでしょうか?

4.ヤコブは祝福を受け取ったが、兄に命を狙われることになった

 確かにヤコブは祝福を受け取ったのですが、だました罪は自分の身に降りかかってきます。

 エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。
 そして、心の中で言った。
 「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」
 創世記 27章41節

 ヤコブは一緒に育ってきた双子の兄エサウに、命を狙われることになります。
 そのため、父の家に住み続けることができなくなってしまうのです。
 ヤコブは家を出て、逃げざるをえなかったのです。

 ヤコブは祝福を受けはしているのですが、その後自分のした悪の報いを受けることになってしまうのです。
 それは、「時間が経てば消え去る」というものではありませんでした。
 後に兄エサウと再会することになるのですが、その時のヤコブの苦悩は非常に大きかったのです。

 使いの者はヤコブのところに帰って来て、
 「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。
  兄上様の方でも、あなたを迎えるため、
  四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」と報告した。
 ヤコブは非常に恐れ、思い悩んだ末、
 連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けた。
 創世記 32章7〜8節

 この時のヤコブの祈りは、次のようなものでした。

 どうか、兄エサウの手から救ってください。
 わたしは兄が恐ろしいのです。
 兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。
 創世記 32章12節

むすび.ヤコブも人を欺いているのだから私も欺いてよいのではない

 確かにヤコブは、人を欺いて神の祝福を受け取っています。
 だからといって、「私も人を欺いて良い」ということにはなりません。
 もし同じことをするなら、ヤコブと同じ苦悩を味わってしまうでしょう。

 ヤコブが神に祝福されたことと、ヤコブが人を欺く罪を犯したこととは別問題なのです。
 ヤコブは祝福をだまして奪い取り、祝福されましたが、
 だからと言って、だますことが正当化されているわけではないのです。

 私たちはだましたり、嘘を言ったり奪い取ったりすることをしてはなりません。
 それは、明らかに罪だからです。
 それは隣人を自分自身のように愛することの、真逆なのです。

 私たちは隣人を愛し、誠実に真実を語るのです。
 隣人のものを奪うのではなく、逆に隣人に良いものを惜しみなく与えるのです。
 イエス・キリストが命を与えて下さったように、私たちも隣人に良いものを与え続けるのです。

 【今日の聖書】
 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
 これがわたしの掟である。
 ヨハネによる福音書 15章12節


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