今日のできごと


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2022/10/5(水)

 

荒野で食物がなかったときの不平不満

1.イスラエルの民は食糧がなくなった時に不平を言った

 1.1 食糧がなくなった時に神に求めず不平を言った

 エジプトから脱出して、葦の海を渡ったイスラエルの人々はエリムを出発し、
 エリムとシナイとの間にある、シンの荒れ野に向かいました。
 それはエジプトの国を出た年の第二の月の十五日でした。

 荒れ野に入ると、そこには食糧がありませんでした。
 出エジプトの時に、穀物も持って出立しているのですが
 荒野を移動しながら穀物を栽培して、収穫することなどできませんので、

 穀物は、やがて尽きていきます。
 そこでイスラエルの人々は、モーセとアロンに向かって不平を述べ立てます。
 「あなたたちは、全会衆を飢え死にさせようとしている!」

 イスラエルの人々は彼らに言った。
 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。
 あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。
 あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
 出エジプト記 16章3節

 1.2 エジプトから導き出された神の恵みを無にした

 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。」
 ということまで、言ってしまっています。
 これは、せっかく神がしてくださった出エジプトのわざを否定していることになります。

 エジプトで、自分たちがどんなに惨めで悲惨な状況に置かれていたかを
 まるで忘れてしまったかのような、そんな言葉です。
 そんなエジプトの過酷な状況から、せっかく神が脱出させて下さったにもかかわらず

 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。」
 と言ってしまっているのです。
 どれほど、神を悲しませる言葉だったでしょうか?

 1.3 神への信頼が食欲に負けていた

 民が不平をモーセに言ったそのきっかけは、食べるものがなくなったということにあります。
 それ自体、人間の命に係わる重大な問題ではあります。
 まったく食べるものがなければ、水だけでは50日程で人間は死んでしまいます。

 切羽詰まった状況であったことは、理解できます。
 けれどもそこで民がモーセに語った言葉は、「食物が必要だから何とかしてほしい」
 というのではなく、「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。」

 という言葉なのです。極端なほどの、不平不満です。
 なぜそこまで言ったのでしょうか?
 エジプトでは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べていたからです。

 「たくさん肉が食べたい、パンも腹いっぱい食べたい」
 食欲です。貪欲なほどの食欲が、極端なほどの不平不満を生み出しているのです。
 必要を満たしてくださる神への信頼を、食欲が押しのけてしまっていたのです。

2.時の終わりに直面しているわたしたちへの警告

 イスラエルの民と同じように、私たちも聖霊によって生きていないと同じ過ちを犯します。
 不平を言って神の恵みを無にし、自分の欲望の満足に走ってしまう、
 そんな過ちに、いとも簡単に陥ってしまうのです。

 葦の海を渡るという、神の素晴らしい奇蹟の体験をしてきたにもかかわらず
 食糧が得られなくなるという状況下において、その体験すらしなかった方が良かった
 と言ってしまうのです。神のみわざを待ち望むのではなく、不平を人に対して言ってしまう、

 そういう過ちを犯してしまいやすいのです。

 彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。
 不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。
 これらのことは前例として彼らに起こったのです。
 それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。
 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
 コリントの信徒への手紙一 10章10〜12節

 不平を言ってはならなかったのです。
 荒野でモーセに不平を言った者は、滅ぼす者によって滅ぼされてしまっています。
 それは私たちに対する、大きな警告なのです。

3.何事も不平や理屈を言わずに行う

 「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。」と聖書に記されています。
 どんなことでも、不平を言ってはなりません。
 不平を言わずに行っていれば、やがてこの世で星のように輝くことになります。

 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。
 そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、
 よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、
 世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。
 フィリピの信徒への手紙 2章14〜16節(前半)

むすび.出エジプトしたのに不平を鳴らした民を反面教師としよう

 水がなければ不平を言い、食糧がなくなれば不平を言うイスラエルの民でした。
 どちらも命に係わる重大な場面ではありますが、不平で問題は解決しません。
 解決は神にあるからです。神に求めれば、必ず与えられるのです。

 神が、民の渇きを知らないわけがありません。
 神が、民の飢えを知らないわけがないのです。
 神は私たちを、限りなく愛していて下さるお方です。

 必ず必要不可欠なものは、ちゃんと与えて下さるのです。
 そのことを信じて、どこまでも神に信頼してゆくことが大切です。
 そしてそのような神が、私たちと共にいてくださることを喜ぶのです。

 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。
 満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、
 いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。
 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
 フィリピの信徒への手紙 4章12〜13節

 パウロは空腹の時にも、それに対処する秘訣を授かっていました。
 いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっていたのです。
 パウロを強めてくださる方であるイエスのお陰で、パウロにはすべてが可能だったのです。

 私たちも、まったく同じなのです。
 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能なのです。

 【今日の聖書】
 イスラエルの人々の共同体全体はエリムを出発し、
 エリムとシナイとの間にあるシンの荒れ野に向かった。
 それはエジプトの国を出た年の第二の月の十五日であった。

 荒れ野に入ると、
 イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。
 イスラエルの人々は彼らに言った。

 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。
  あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、
  パンを腹いっぱい食べられたのに。
  あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、
  この全会衆を飢え死にさせようとしている。」

 出エジプト記 16章1〜3節


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