今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2022/1/10(月)

 

律法によっては、罪の自覚しか生じない

 神が与えられた律法は、旧約聖書に記されています。
 律法は、何が神の前に正しくて、何が神の前に悪であるかを明確に示しています。
 しかし、その律法を行おうとすればするほどできないことに気づくのです。

 律法を行うことができると考えて、実行に移すのですが
 律法の基準は高く、とてもその基準に達することができない自分に気づくのです。
 正しいことをやろうとしてもできず、悪を避けようとしても悪を行ってしまい、

 正しく生きようとして律法を行おうとすればするほど、逆に罪の自覚が大きくなっていくのです。
 律法は人間に対して、「私は罪人だ」と認識させるだけなのです
 「私は神の前に正しい人間だ」という自己認識を、律法が崩壊させてしまうのです。

 律法を行うことによっては、誰一人神の前に義とされることはありません。
 どうしたら、神の前に義とされるか?
 それは、イエス・キリストを信じることによってです。

 ところが今や、律法とは関係なく、
 しかも律法と預言者によって立証されて、
 神の義が示されました。
 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、
 信じる者すべてに与えられる神の義です。
 そこには何の差別もありません。
 ローマの信徒への手紙 3章21〜22節

 律法とは関係なく、イエス・キリストを信じることにより、
 信じる者すべてに、神の義が与えられるのです。
 律法を行えない罪人の私たちが、イエス・キリストへの信仰によって神の前に義とされるのです。

 【今日の聖書】
 なぜなら、律法を実行することによっては、
 だれ一人神の前で義とされないからです。
 律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
 ローマの信徒への手紙 3章20節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新