年長者の罪認識が一番早かった
1.律法学者たちは姦淫した女性を殺すべきではないかと問いかけた
ある日、イエスは朝早く神殿の境内で、ご自分のところに来ていた民衆に対して
座って教え始められました。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々がやってきました。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、
姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。
「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。
ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
ヨハネによる福音書 8章3〜5節
律法学者たちやファリサイ派の人々は、
何と、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来ていました。
そしてその女性を真ん中に立たせ、イエスに対してこう言いました。
「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。
ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
2.イエスはそこにいた全員に自分の罪を思い出させた
そうするとイエスは、次のように語られます。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、
この女に石を投げなさい。」
どうなったでしょうか?
これを聞いた者は、年長者から始まって、
一人また一人と、立ち去っていったのです。
誰も自分は「罪がありません」とは、言えなかったのです。
すべての人が、罪の自覚をしていたのです。
そして年長者の方が、若者よりもより明確に罪の自覚をしていたのです。
3.年長者の方が、若者よりもより明確に罪を自覚していた
なぜ年長者の方が、罪の自覚がはっきりしていたのでしょうか?
人生を長く生きれば生きるほど、犯してしまう罪の量も増えるからでしょう。
長生きをすれば人生は幸せかというと、そうではないのです。
罪が解決しない限り、幸せではなく不幸です。
犯してしまった罪に対する罪責感が、どんどん心の中に積み重なっていってしまうからです。
罪の中で長く生きると、罪を繰り返し続けることになり罪責感もそれだけ増えてしまいます。
むすび.自分の罪が解決しない限りその人生は不幸な人生で最後は永遠の滅び
自分の罪が解決しない限り、どんなに長生きであったとしてもその人生は不幸な人生なのです。
さらに悪いことに、人生が終わった後その最後はとてつもなく苦しい永遠の滅びなのです。
何としてもイエス・キリストを信じて罪のゆるしを頂かなければなりません。
人生で最も大切なことは、イエス・キリストを信じることなのです。
イエス・キリストを信じた人の罪は、すべてゆるされるのです。
そして永遠の命に生きることができるのです。
【今日の聖書】
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、
イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
ヨハネによる福音書 8章7〜9節