御心をおこなっていたのに非難されたマリア
1.マリアは主の喜ばれることをしていた
ある時マリアは、イエスの足もとに座って、
その話に、聞き入っていました。
彼女にはマリアという姉妹がいた。
マリアは主の足もとに座って、
その話に聞き入っていた。
ルカによる福音書 10章39節
これは、とても良いことでした。
マリアは良い方を選んだ。
ルカによる福音書 10章42節(抜粋)
イエスは「必要なことはただ一つだけである。
マリアは良い方を選んだ。」と語られています。
イエスの足もとに座って、その話に聞き入ることは良いことだったのです。
2.主の喜ばれることをしていたにもかかわらず非難された
マリアは、イエスの心にかなう良いことをしていたのです。
にもかかわらず、マルタから非難されているのです。
マルタは、
いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、
そばに近寄って言った。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、
何ともお思いになりませんか。
手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
ルカによる福音書 10章40節
マルタは「マリアのしていることはおかしい」と、非難しています。
主に喜ばれていることをしている人に対して、それは違うと非難し
しかもイエスにまで、マリアが自分を手伝うようにしてほしいと語るのです。
3.御心を行って的を射たことをしていても非難されることがある
マリアは、主のみ心をおこなっていたにもかかわらず非難されました。
それもイエスに反対しているファリサイ派の人々や、律法学者たちからではなく
同じようにイエスを受け入れていた、実の姉からでした。
ペトロが、コルネリウスの家に行った時と似ています。
ペトロは教会の人々から、「異邦人と食事をした」と非難を受けたのです。
しかし非難していた人々が間違っていて、ペトロが正しかったのです。
むすび.主の御心を正しく行っているのに非難されることもある
主の御心をおこなっていれば、誰からも非難を受けず
皆に喜ばれるかと言えば、そうではありません。
マリアのように、同じようにイエスに従っている家族から
非難を受けることもあるのです。
ペトロの様に、教会の主だった人々から非難されることもあり得ます。
パウロもまた、そのようなところを通っています。
人の顔色をうかがって、これは人から非難されないからやろう
これは非難されたからやめておこう、と考えていたら
真に的を射た行動が、取れなくなってしまうのです。
人に喜ばれることではなく、主に喜ばれることをしていくべきなのです。
的を射れば射るほど、非難も大きくなるでしょう。
肝心なことは、主がそれを願っておられるかということです。
【今日の聖書】
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、
そばに近寄って言った。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、
何ともお思いになりませんか。
手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
ルカによる福音書 10章40節