十字架の血潮によって
1.クリスチャンはキリストの十字架の血潮によって買い取られた者
罪のゆるしは、イエス・キリストの
十字架の血潮による以外には、あり得ません。
ただイエスの十字架の血によってのみ、罪のゆるしがあるのです。
それは、神の豊かな恵みによるものであって、
私たちの行いや過去の実績など、まったく関係ないのです。
十字架の血潮によって、私たちは
贖われたのです。
2.贖われたら(買い取られたら)完全に買い主のものになる
贖うというのは、買い取るという意味です。
キリストを信じた私たちは、イエスによって贖われて
悪魔の支配下から、神の支配下に移されました。
店先に並んでいる商品は、その店の店主の支配下にあります。
どんな得意客であろうと、お金を払って買い取るまでは、
勝手に店から持っていくことは、できません。店主のものだからです。
しかし一旦お金を支払ってしまえば、もうその商品は買った人のものです。
店主が、「さっきまでうちの店のものだった」と言ったところで
店主は取り返すこともできなければ、勝手に触れる事さえできなくなります。
「贖う」すなわち「買い取る」ということはそういうことなのです。
一旦買い取ってしまえば、売り手の手から完全に離れ去ってしまうのです。
どんなに長い間店の棚に陳列してあったものであろうと、同じです。
3.キリストに贖われたら完全に神のものとされる
キリストに贖われた人も、同じです。
一旦キリストに買い取られてしまえば、悪魔の手から完全に離れ去るのです。
どんなに長い間悪魔の支配下にあったとしても、完全に神のものとされます。
イエス・キリストを信じるまでは、悪魔の支配下にあって
悪魔の思うがままに、動かされていたとしても、
キリストを信じて贖われたら、悪魔の支配下から完全に抜け去るのです。
悪魔の支配下ではなく、神の支配下に完全に移されるのです。
イエス・キリストの血潮で贖われた者は、神のものになっているのです。
神のものとされた人に対して、悪魔は手出しができなくなります。
むすび.完全に贖われた者という自己認識で生きる
キリストに贖われたクリスチャンは、完全に神のものとされています。
ですから自分のアイデンティティは、「神のものとされた私」なのです。
もはや「悪魔の支配下にある私」ではなく、「悪魔の支配下から抜けた私」なのです。
悪魔の支配力を恐れる必要は、まったくありません。
今や私を贖い取り支配しておられる神は、ずっとずっと力強いのです。
悪魔の語ることに耳を傾ける必要もなければ、従う必要もないのです。
私たちは、ただ神のみ声を聴いて、神に従って歩み続けるのです。
私たちは、もう悪魔の支配下にはいませんので、
神に従っている以上、悪魔に支配されることはありません。
【今日の聖書】
わたしたちはこの御子において、
その血によって贖われ、罪を赦されました。
これは、神の豊かな恵みによるものです。
エフェソの信徒への手紙 1章7節