今日のできごと


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2021/10/18(月)

 

右の頬を打たれたら左の頬をも向ける

1.右の頬を打たれたら、右の頬を打ち返すのではない

 聖書の中の有名な言葉の中に、
 「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
 という言葉があります。

 「あなたがたも聞いているとおり、
 『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
 しかし、わたしは言っておく。
 悪人に手向かってはならない。
 だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
 マタイによる福音書 5章38〜39節

 「目には目を」の論理で行くと、
 「右の頬を打たれたら、右の頬を打ち返す」ということになりますが、
 イエスはこのような行為を、完全に否定しています。

 「悪人に手向かってはならない。」と言われているのです。
 逆に、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
 と言われているのです。

2.悪しき行為の容認にならないのか?

 まったくのやられ損です。
 「被害者救済」ではなく、やられるままに任せるという
 一見するとおかしな言葉、加害者が一方的に有利になってしまう言葉です。

 この言葉の、どこに正義があるのでしょうか?
 悪しき行為の容認に、なってしまわないのでしょうか?
 悪を野放しにしなさい、とでもいうことなのでしょうか?

3.最後は必ず神が正しく裁かれるという信頼

 この言葉の背後にあるのは、神への信頼です。
 神がすべてをしっかりと見ておられ、悪しき者が勝ったかのように見えても
 最後は必ず神が、正しく裁いてくださるという神への信頼が、

 この言葉の背後にあるのです。
 悪を野放しにされない神が、今はやりたい放題の様に見える人を
 きちんと正しく裁いてくださると、信頼しているのです。

 今私の右の頬を打つ人を、神は見ておられ
 後でその人を、神が正しく裁かれると信じるのなら、そのうえで
 あえて神が、私が右の頬を打たれることをゆるしておられるのなら

 喜んで左の頬をも、差し出すのです。
 そこに、神の御業が起こるのです。
 その人が、やりたい放題の悪を行い続けられないようにされるのです。

 人々はイエスに対してやりたい放題やってしまい、十字架で殺してしまいました。
 イエスは左の頬ではなく、命をも差し出したのです。
 そこに、神の御業が起きたのです。イエスをよみがえらせ、救いの道を開かれたのです。

むすび.右の頬を打たれた時こそ神の御業が起きる時

 右の頬を打たれた時に、右の頬を打ち返してしまってはなりません。
 神の御業が、とどめられてしまうからです。
 右の頬を打たれて悔しい時、辛い時、泣きたいとき忍耐するのです。

 その時、あなたを通して神の御業が起きます。
 命を十字架で差し出されたイエスに、御業を表された神が
 あなたにも、素晴らし御業をなされるのです。

 右の頬を打たれて悔しい時、辛い時、泣きたいとき
 その時が、神のチャレンジの時です。チャンスなのです。
 喜んで、忍耐していきましょう!

 【今日の聖書】
 「あなたがたも聞いているとおり、
 『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
 しかし、わたしは言っておく。
 悪人に手向かってはならない。
 だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
 マタイによる福音書 5章38〜39節


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