出雲国山代郷遺跡群正倉跡
733年に完成したという「出雲国風土記」によると、
出雲国意宇郡には、郡内4か所に「正倉」が設置されていたそうです。
そのうちの一つが、山代郷正倉になります。
この辺りは、炭化米が土の中から出てくることが知られており
1978年の発掘により、総柱建物跡が発見され
その後の発掘調査により、山代郷正倉跡であることが決定的になったそうです。
奈良時代に遡っても、このあたり一帯では稲作が行われ
収穫された米が、ここに納められていたことになります。
正倉があったということは、その時代から田んぼがあったということになります。
事実、大草、山代、竹矢一帯は、今でも広大な田んぼが広がっています。
聖書からすれば、西暦733年などは最近であって
紀元前2000年ごろ、すでにアブラハムの子イサクは、
穀物の種を蒔き、多くの収穫を得ています。
種を蒔いて収穫するこのサイクルは、
はるか昔から、繰り返し繰り返し
毎年行われてきたわけです。
私たちも、良いものを蒔き
良いものを刈り取りたいのです。
思い違いをしてはいけません。
神は、人から侮られることはありません。
人は、自分の蒔いたものを、
また刈り取ることになるのです。
ガラテヤの信徒への手紙 6章7節
今日も、神の言葉をはじめとして
良いものを蒔き続けて、歩んでいきましょう!
蒔いたものは、やがて刈り取ることになるのです。
【今日の聖書】
イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、
その年のうちに百倍もの収穫があった。
イサクが主の祝福を受けて、豊かになり、
ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、
それに多くの召し使いを持つようになると、
ペリシテ人はイサクをねたむようになった。
創世記 26章12〜14節