なぜ寂しい道に?
パウロの伝道旅行を見ると、行く先々はいわゆる多くの人の住む都会だったようです。
例えばフィリピの場合、マケドニア州第一区の都市で、
ローマの植民都市だったと言います。
そこから、マケドニア州第一区の都市で、
ローマの植民都市であるフィリピに行った。
そして、この町に数日間滞在した。
使徒言行録 16章12節
パウロの行ったコリントやアテネをはじめ、多くの伝道拠点がやはり都市です。
人がたくさん集まっている都市を巡って、パウロは伝道していたようです。
人里離れた人のほとんどいない寒村などではなく、多くの人が集まる都会だったのです。
ところが、神がフィリポに命じられたのは
「エルサレムからガザへ下る道に行け」ということでした。
そこは人通りの多い所ではなく、「寂しい道」だったと書かれています。
寂しく人がほとんど通らない、そんな道に行ってどうするのか?
と普通なら思うところですが、ひとりの人物とちょうど出会うのです。
そして、その人物に伝道するのです。
神が遣わされるのは、人が密集している所ばかりとは限らないのです。
ある場合は、人のほとんどいない寂しい所にも遣わされるのです。
そこで神は、重要な出会いの機会を設定されるのです。
【今日の聖書】
さて、主の天使はフィリポに、
「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」
と言った。そこは寂しい道である。
使徒言行録 8章26節