反抗されても
パウロがはじめてコリントに行ったとき、
そこにユダヤ人の会堂があったので、ユダヤ人たちに
福音を語りました。
ところがパウロが語ると、彼らは反抗し口汚くののしったのです。
パウロはどうしたでしょうか?
反抗されてもユダヤ人に語ったでしょうか?
そうではないのです。
語る対象を、変えたのです。
ユダヤ人ではなく、異教の神々を信じている異邦人に語ることにしたのです。
そして異邦人が、続々と信じて救われていったのです。
もし反抗するユダヤ人に語り続けていたら、誰も受け入れてくれないばかりか
迫害の中で、命の危険もあったことでしょう。
もし迫害されてあきらめて、コリントを去っていたとしたらどうでしょう?
コリントの異邦人たちが、救われていなかったのです。
反対者に対して強引に語り続けることもせず、
かといって、ここはもうだめだと言って
あきらめてしまって、コリントを去ったりせず、
語る対象を、異邦人に変えるという手段をとったのです。
そして多くの人が救われて、教会が形作られていったのです。
【今日の聖書】
しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、
パウロは服の塵を振り払って言った。
「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。
わたしには責任がない。
今後、わたしは異邦人の方へ行く。」
使徒言行録 18章6節