今日のできごと


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2020/8/10(月)

 

フィリポの役目は終わった

1.フィリポのサマリア伝道には終わりがあった

 ステファノの殉教に続く、エルサレム教会の大迫害の後
 フィリポはサマリアに行きます。
 そこで、フィリポによって多くの人々が救われることになるのですが

 いつまでもサマリアに居続けることは、できませんでした。
 主の天使が、フィリポに向かい
 「エルサレムからガザへ下る道に行け」と言ったからです。

 さて、主の天使はフィリポに、
 「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。
 そこは寂しい道である。
 使徒言行録 8章26節

 サマリアにおける、フィリポの役目は
 一旦そこで、終わりにしなければなりませんでした。
 それが、神の計画だったのです。

 フィリポのサマリアに対する役目は、そこで終わったのです。
 フィリポは、もしかするとまだサマリアに残りたかったかもしれません。
 しかしフィリポがどう思ったとしても、神の計画は「終了」だったのです。

2.フィリポのエチオピアの宦官伝道にも終わりがあった

 これはフィリポが、エチオピアの宦官に福音を伝えた時も同様です。
 フィリポが宦官に福音を伝え、宦官が洗礼を受けたいと申し出て
 洗礼を授けたら、主の霊がフィリポを取り去るのです。

 宦官に、福音を伝え洗礼を授けるまでがフィリポの役目でした。
 それ以上は、必要なかったのです。
 フィリポはもっと語りたかったかもしれません。

 けれども神の計画は、「終了」だったのです。
 この時は「フィリポよ、そこから去りなさい」などの言葉での命令ではなく
 強引に、主の霊がフィリポを連れ去っています。「強制終了」の感があります。

3.私たちの働きにも終わりがある

 私たちも同じです。
 もっと続けたいと思っても、神が「終了」と言われるなら終わるのです。
 大局的見地で言えば、人生がそうです。地上生涯は「死」で終了です。

 生涯だけでなく、主の働きにおいてもそれは言えます。
 フィリポにとってサマリア伝道は、使徒言行録8章26節の時点で終了し
 エチオピアの宦官伝道は、使徒言行録8章39節で終了したのです。

 主が終わりと言われたら、終わります。
 逆に言えば、主が終わりと言われない限り
 私たちは置かれた場で、働きを力一杯続けていくのです。

むすび.終わりには、次がある

 主は、なぜフィリポに突然「伝道終了」を告げられたのでしょうか?
 次があったからです。
 サマリア伝道の次は、エチオピアの宦官伝道が待っていたのです。

 エチオピアの宦官伝道の次は、アゾト伝道が、その次は
 アゾトから、カイサリアに至る町々での伝道が
 フィリポを待っていたのです。

 フィリポはアゾトに姿を現した。
 そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。
 使徒言行録 8章40節

 そこに神の計画があったのです。
 私たちに必要なことそれは、自分の思いではなく
 神の計画に従って、働きを進めていくことなのです。

 【今日の聖書】
 彼らが水の中から上がると、
 主の霊がフィリポを連れ去った。
 宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、
 喜びにあふれて旅を続けた。
 使徒言行録 8章39節


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