今日のできごと


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2020/4/6(月)

 
カモメ

やっぱり

1.言っていることと、やっていることの相違

 命じられたことを、「はいやります!」と言っておきながら、やらないのと
 「いやです!」と言っておきながら、やっぱり思い直してやるのと
 どちらが、望みどおりにしたことになるかと言えば、後者です。

 罪人と言われていた人は、神に従わない生活をしていたのですが
 心を入れ替えてイエスに従い、神に従うようになりました。
 こんなことじゃいけない!やっぱり神に従おう!という感じです。

 他方、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「神に従います」と言っておきながら
 言っていることと、やっていることに大きな矛盾が生じていたのです。
 「従います」と口では言うものの、やっていることは「従いません」だったのです。

2.神に従って来なかった後でも心を入れ替えればよい

 本来は、「はい、やります!」と言ってその通り実行するのがベストですが
 「神様、私にはそんなことはとてもできません。」と思ってしまうことが
 多いのではないでしょうか?赦せといわれても..喜べと言われても...

 けれども、神の言葉通りできません、そんなことは無理ですと言った後でも
 心を入れ替えてやっぱりやりますと言うなら、神は喜んで受け入れて下さるのです。
 一回神の言葉に従えなかったから、もう私はだめだというのではないのです。

 もしダメだったら、徴税人や罪人と言われていたような人は
 イエスに拒まれていたでしょう。
 けれども、イエスは徴税人や罪人と言われていたような人を受け入れていったのです。

3.神に従いますといったのに従えなかったとしても心を入れ替えればよい

 逆に、ファリサイ派の人々や律法学者たちが叱責されているのです。
 彼らは人々には「私たちのように、神に従いなさい」と言っておきながら
 自分たちは、まったく神に従っていなかったのです。

 「神様、私は神様に従います」と言っておきながら、
 その実、正反対のことをしていたのです。
 罪を認めなければならなかったのに、自分は正しいと思い込んでいたのです。

 「はいやります!」と言っておきながら、やっていなかったのです。
 だからイエスは、そのことに気づくように厳しく叱責されているのです。
 彼らを憎んでいたのではありません。

 ファリサイ派の人々や律法学者たちも、自分自身の罪を認めて
 悔い改めればよかったのです。
 「神に従います」と言っているのに神に従っていなかった、と気づけばよかったのです。

むすび.今までの自分のあり方に固執することをやめる

 「はいやります!」と言っておきながら、やっていないことに気づいたら
 そこからでも遅くはないのです。
 もう一度心を入れ替えて、イエスに従い神に従う生き方をすればよいのです。

 今までこうやってきたから、自分はこうするんだと
 過去の自分の生き方に、固執する必要はないのです。
 それが罪だと気づいたら、即座にやめて正しい生き方を選び取ればよいのです。

 【今日の聖書】
 「ところで、あなたたちはどう思うか。
  ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、
  『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
  兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
  弟のところへも行って、同じことを言うと、
  弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
  この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」
 彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。
 「はっきり言っておく。
  徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
 マタイによる福音書 21章28〜31節


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