今日のできごと


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2020/11/13(金)

 

排他的である理由

 キリスト教は、他の宗教の教えを認めないから
 独善的で、排他的だと言われる場合があります。
 他の宗教の教えも認めるべきではないか、と言われます。

 神を信じるということは、結婚にたとえられます。
 結婚した夫婦は、ひとたび結婚すれば
 他の男性や女性を、その二人だけの関係から排除します。

 結婚したにもかかわらず、奥さん以外の女性とふたりだけで
 ドライブに行ったり、旅行に行ったりしていたら
 これは、奥さんに対する裏切り行為になってしまいます。

 それまでどんなに親しかったとしても、奥さん以外の女性とは、
 きっぱりと、付き合いをやめるのです。その点は、実に排他的です。
 「結婚したからと言って、そんな態度は冷た過ぎる」と言われてもです。

 結婚というのは、他の男性や女性をその親密な関係から除外します。
 他の男性は夫と同じではなく、他の女性も妻と同じではありません。
 夫は世界中のすべての男性よりも、妻はすべての女性よりも親密なのです。

 世界中の他の女性ではなく、あなたを私の妻としますという約束が結婚です。
 世界中の他の男性ではなく、あなたを私の夫としますという約束が結婚です。
 結婚関係は、その契約で成り立っているのです。

 神を信じるということも、同じです。
 世界中の他の神々ではなく、あなたを私の神としますという約束が信仰です。
 ですから信仰というのは、排他的なのです。

 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
 出エジプト記 20章3節

 「わたしをおいてほかに神があってはならない」のです。
 「主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、
  主の食卓と悪霊の食卓の両方に着くことはできません。」

 聖書にはそうも書いてあります。一緒には、できないのです。
 毒だけを飲んでも死にますし、
 毒ときれいな水を、一緒に飲んでも死んでしまいます。

 きれいな水だけを、飲まなければならないのです。
 毒を少しでも入れてしまうと、きれいな水は一変してしまうのです。
 結婚と同じように、一緒にしてしまうと破綻してしまうのです。

 【今日の聖書】
 主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、
 主の食卓と悪霊の食卓の両方に着くことはできません。
 コリントの信徒への手紙一 10章21節


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