今日のできごと


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2020/10/10(土)

 

思いもしなかった反応

1.パウロは神にされてしまった

 パウロが、リストラという町で福音を語り
 そこにいた足の不自由な人を、癒すと
 そこにいた人たちは、イエス・キリストを信じるのでなく

 何とパウロたちを、神としてしまうのです。
 ゼウス神殿の祭司が、雄牛数頭と花輪を運んできて
 パウロたちに、いけにえとしてささげようとしてしまうのです。

 町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、
 家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、
 群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。
 使徒言行録 14章13節

2.福音を語った時の反応のもう一つ「神にされてしまう」

 福音を語るときに見られる反応として、次のようなものがあります。
 @素直に受け入れて信じる
 A無関心のままで立ち去る
 Bあからさまに反抗し、迫害する

 これらの3つは、パウロたちも想定していたと思います。
 しかし、もうひとつの反応もあったのです。
 C福音を語っている人を、神と誤解して崇拝しようとしてしまう

 これにはパウロも、驚いたことでしょう。
 まったくそんなことは、予想だにしていなかったと思います。
 まさか自分たちにいけにえをささげるなど、夢にも思ってなかったでしょう。

3.パウロはやっとのことでやめさせた

 これをやめさせるのは、大変だったようです。
 「私たちも同じ人間だ、このような偶像崇拝をやめて
  真の神に立ち返れ!」という内容のことを語りやめさせたのです。

 こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、
 やっとやめさせることができた。
 使徒言行録 14章18節

むすび.偶像の神と混同されることがある

 福音を語るときに、誤解されることがあります。
 自分たちが信じている偶像の神と、混同されてしまうことも起こりえるのです。
 そして福音を語っている人を、偶像の神としてしまうことも起こりえるのです。

 ダイヤモンドなのに、ガラス玉と同じにされてしまうそんな感じです。
 「このダイヤモンドというのは、ガラス玉の中でも実に見事なガラス玉ですね」
 「いやいやそれはガラスなんかじゃなくて、ダイヤモンドという宝石です」

 こんな具合です。ガラス玉しか知らないと、こうなってしまうのです。
 先入観から解き放つというのは、なかなか難しいと思います。
 長い間信じてきた事が間違っていたというのは、なかなか受け入れ難いものです。

 けれども本物の福音を信じなければ、永遠の命はあり得ません。
 偽物にだまされ続けていては、最後に永遠の滅びに投げ込まれてしまいます。
 罪は罪であり、キリストの十字架の血潮だけが罪を完全にゆるすものなのです。

 【今日の聖書】
 神はこのキリストを立て、
 その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。
 それは、今まで人が犯した罪を見逃して、
 神の義をお示しになるためです。
 ローマの信徒への手紙 3章25節


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