エリシャ=神(エル)は救い
1.ゲハジはナアマンから贈り物をこっそり受け取った
1.1 エリシャはナアマンの贈り物を受け取らなかった
ナアマンが、エリシャの言葉の通りにしたら、彼の体は完全に癒されました。
しかも、幼子の体のようにきれいになったのです。
ナアマンは喜んでエリシャの元に向かい、贈り物を捧げようとします。
しかしエリシャは、ナアマンからの贈り物を何一つ受け取りませんでした。
神の人は、「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」
と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。
列王記下 5章16節
ナアマンがエリシャに、強いて受け取らせようとしてもエリシャは断っているのです。
1.2 ゲハジはナアマンから贈り物を嘘をついて受け取ろうとした
ところが、エリシャの従者ゲハジは、主人エリシャに隠れてナアマンの所に赴き
エリシャが受け取らなかった贈り物の一部を、嘘を言って受け取ろうとします。
「...わたしの主人がわたしを遣わしてこう言いました。
『今し方預言者の仲間の若い者が二人エフライムの山地から着いた。
彼らに銀一キカルと着替えの服二着を与えてほしい。』」
列王記下 5章22節
(※キカル:重さの単位で34.2Kg)
1.3 ナアマンは喜んでゲハジに贈り物を与えてしまった
ナアマンはそう言われて、喜んで贈り物をゲハジに与えてしまいます。
しかも言われた以上に、与えてしまうのです。
ナアマンは、「どうぞ、二キカル取ってください」と言ってしきりに勧め、
二つの袋に銀二キカルを詰め、着替えの服二着を添えて、自分の従者二人に渡した。
彼らはそれを持ち、ゲハジの先に立って進んだ。
列王記下 5章23節
ゲハジにとって都合の悪いことに、ナアマンの従者が一緒に着いてきてしまいます。
そのままエリシャの所に戻ってしまったら、自分のやったことがばれてしまいます。
そこでゲハジは、オフェルという所でその荷物を受け取って自宅にしまい込みます。
オフェルに着いたとき、ゲハジは彼らからそれらを受け取って
家にしまい込み、彼らを帰した。彼らは去って行った。
列王記下 5章24節
2.ゲハジはエリシャにしらを切った
2.1 エリシャはゲハジに問いかけた
ナアマンをだまして贈り物を受け取り、こっそり自分の家にしまい込んで
エリシャの元に帰ってきたゲハジに対して、エリシャはこう言います。
「ゲハジ、お前はどこに行っていたのか」
罪を犯したアダムに対して、「どこにいるのか?」と言われた神の言葉を
彷彿とさせるような、そんな鋭さをもった言葉です。
ゲハジにとっては、「ドキン!」とする言葉だったでしょう。
2.2 ゲハジはエリシャに嘘を言った
ゲハジは、エリシャに答えます。
「僕はどこにも行っていません」。ゲハジは、しらをきるのです。
「いやいや、ナアマンの所にいってきたではないか!」と
言いたくなるほど、平気で偽るのです。
2.3 嘘は更なる嘘へと続いた
一旦ナアマンに嘘をつくと、今度はエリシャにも嘘をつかなければ
ならなくなりました。嘘の連鎖が始まってしまうのです。
罪は更なる罪につながり、どんどんと深みにはまりこむことになります。
けれどもエリシャは、見破ります。
神の預言者を欺くことなど、できなかったのです。
3.エリシャは不思議な方法でゲハジの嘘を見破っていた
3.1 エリシャはゲハジの行動を言い当てた
エリシャは言った。
「あの人が戦車から降りて引き返し、お前を迎えたとき、
わたしの心がそこに行っていなかったとでも言うのか。
今は銀を受け、衣服、オリーブの木やぶどう畑、
羊や牛、男女の奴隷を受け取る時であろうか。
列王記下 5章26節
エリシャは、見事にゲハジとナアマンの行動を言い当てています。
ナアマンが戦車から降りて引返して、ゲハジを迎えたことも
ゲハジが銀と服を受け取ったことも、見て来たかのように的確に指摘しています。
3.2 エリシャの心がゲハジと共にそこに行っていた
この時のエリシャの言葉が、興味を引きます。
「わたしの心がそこに行っていなかったとでも言うのか。」
ナアマンの所に行ったのはゲハジだけでしたが、
何と、エリシャの心は共に行っていたというのです。
エリシャは、ゲハジの真実を「神に教えられた」と言ったのではなく、
「わたしの心が、そこにゲハジと共に一緒に行っていた」と言うのです。
こころ
inner man, mind, will, heart, understanding
a) inner part, midst
a1) midst (of things)
a2) heart (of man)
a3) soul, heart (of man)
a4) mind, knowledge, thinking, reflection, memory
a5) inclination, resolution, determination (of will)
a6) conscience
a7) heart (of moral character)
a8) as seat of appetites
a9) as seat of emotions and passions
a10) as seat of courage
3.3 神のみわざは私たちの理解を超えた不思議なみわざ
神のみわざは、私たちの理解をはるかに超えています。
人に対して、「その人の体がその場所にいなくても、心だけがその場所にいて
そこで行われていることを、つぶさに把握できる」ようにもすることができるのです。
「壁に耳あり障子に目あり」どころではなく、
「盗聴器」や「監視カメラ」の比ではありません。
実際にエリシャ本人の心だけが、目に見えない形で同行するようにされていたのです。
実に不思議な方法です。エリシャの心だけが、空間を超えていたのです。
ゲハジは、誰にも見られていないと思っていたのに、
ゲハジの側にエリシャの心が、しっかりと存在していたのです。
むすび.神に隠れて行動することなどできない
神の目を盗むなどと言うことは、できるはずがありません。
いついかなる時でも、神は愛するわが子を見守っておられるのです。
そればかりか、何を考え何をしようとしているのかも、ことごとくご存知なのです。
今この文章を読んでいるこの時、神は読んでいる私を見ておられるのです。
そしてそれを読んで私が感じたことを、神は知っておられるのです。
また、たった一人でやっていることも、それを他の人に幻で見せることもできるのです。
いつも神が、私を見て私の言うこと聞くことを一緒に聞いて
私と共にいてくださるんだという意識で、毎日の生活を送りたいと願います。
裏表のない、どこを切っても主と共に歩む人生を最後まで送り続けましょう!
【今日の聖書】
どこにも主の目は注がれ
善人をも悪人をも見ておられる。
箴言 15章3節