「あなたはゆるされない」という嘘にだまされない
1.「ゆるしません」と言われながら育つとどうなるか?
子「ごめんなさい。」 親「あやまってもゆるしません。」
子「もうしません。」 親「だめです。ゆるしません。」
子「ゆるしてください。」親「ゆるしません。」
このように、小さい時に何か悪いことをして親から怒られて
「あやまっても、すぐにはゆるしてもらえなかった」という経験が続いていたりすると、
「あやまっても、ゆるされない」という考え方が、自然と身についてしまいます。
「ごめんなさい」という言葉が、何かまったく意味をなさない言葉のようになってしまい
罪を犯した時に「ごめんなさい」といったところで、「そんな言葉を言っても無駄だ」
「ごめんなさい」と言ったところで、「ゆるされない」という考え方になってしまいます。
2.「ゆるされない」=「わたしはダメだ」
「あやまっても、ゆるされない」ということは、
一旦悪いことをしてしまうと、「もう私はだめなんだ」ということになってしまいます。
悪いことをしてしまったら、回復の道はないんだという意識が育まれてしまうのです。
そして、悪いことをしてしまった自分は
もう回復することができない、「ダメな人間なんだ」という、
低い自己認識が、染みついてしまのです。
また「ごめんなさい」という言葉の有効性を否定してしまうと、
他人から何か悪いことをされた時、その人が一生懸命あやまっていても
「ごめんなさいと言われたところでゆるしません」という考え方になってしまいます。
「いくらあやまっても、わたしはあなたをゆるしません」という態度になるのです。
あやまる言葉をいくら言われても、その言葉をまったく無効にしてしまうのです。
その人を、「あなたはダメな人間です」と断定してしまうのです。
3.「あやまっても、ゆるされない」というのが嘘
「あやまっても、ゆるされません」これが、サタンのもたらす嘘です。
「あなたの罪は、決してゆるされません」という嘘を、サタンは投げかけてきます。
この嘘を見抜き、火の矢のごとく飛んでくる「ゆるされない」という嘘を
信仰の大盾をもって、防いでいかなければなりません。
聖書のみ言葉をもって、対抗していく必要があるのです。
わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。
コロサイの信徒への手紙 1章14節
むすび.キリストの十字架の血潮によってすべての罪はゆるされる
イエス・キリストの十字架の血潮によって、
すべての罪は、ゆるされるのです。
「ごめんなさい」という言葉はむなしい言葉ではなく、神のみ前ではまさに有効なのです。
そして私たちも、ごめんなさいと言われたら
すぐに、ゆるしていくのです。
ゆるさない、ゆるせない、という事があってはならないのです。
【今日の聖書】
互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。
主があなたがたを赦してくださったように、
あなたがたも同じようにしなさい。
コロサイの信徒への手紙 3章13節