人間的判断ではなく神の計画によって
1.素晴らしい働きをしていたステファノは殉教の死を遂げた
1.1 ステファノは素晴らしい働きをしていた
ステファノは12弟子ではなかったのですが、
当時のエルサレム教会において、突出した人物でした。
エルサレム教会の中でも、特に優れた働きをしていた人物でした。
さて、ステファノは恵みと力に満ち、
すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。
使徒言行録 6章8節
1.2 ステファノは殉教の死を遂げてしまった
ステファノは「恵みと力に満ち」、
「すばらしい不思議な業としるし」を民衆の間で行っていたと言います。
ところが彼は、殉教の死を遂げてしまいます。
人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、
「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
それから、ひざまずいて、
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。
ステファノはこう言って、眠りについた。
使徒言行録 7章59〜60節
1.3 ステファノは人々に石を投げつけられて死んでしまった
ステファノは、人々に石を投げつけられて、死んでしまうのです。
2.力あるステファノが死んでしまい教会は弱体化したか?
2.1 ステファノの殉教は大きなダメージのように思われる
これほど「すばらしい不思議な業としるし」を民衆の間で行って神に用いられていた人物が
あっけなく死んでしまい、教会からいなくなってしまった、ということは教会にとっては、
神の働きを進めていくのに、大きなダメージを受けてしまったように思われます。
彼によって力強く宣教が進み、大きく神のみわざが前進していたのです。
その彼がいなくなってしまったというのは、大きなマイナスに思えたことでしょう。
教会はどうなってしまうのだろうと、悲観に暮れてもおかしくない事のように思えます。
2.2 有力メンバーがいなくなったスポーツチームのよう
スポーツチームにたとえれば、ポイントゲッターであった最有力メンバーが、
突然、チームからいなくなってしまったようなものです。
ポイントゲッターがいなくなれば、チームの弱体化を招きます。
2.3 この世では優れた人物こそ重要とみなされるが、教会は?
スポーツでなくても、優れた働きをしている人こそが重要で組織に益をもたらし、
目立たない人はそうではない、というのがこの世界の常です。
受験でも企業の面接などでも、合格するのは他の人よりも優れている人です。
しかし神は、ステファノが殉教するのをゆるされたのです。
恵みと力に満ちていたステファノが、殉教した結果、
教会は力を失ってしまったでしょうか?宣教は途絶えてしまったでしょうか?
3.ステファノがいなくなっても教会は弱体化しなかった
違うのです。
教会は、さらに大きな広がりを見せることになってゆくのです。
さて、散って行った人々は、
福音を告げ知らせながら巡り歩いた。
フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
使徒言行録 8章4〜5節
殉教に続く迫害で、エルサレムから散って行った人々は、
福音を告げ知らせながら巡り歩きました。
そのことによって、福音がさらに広範囲に広まることになったのです。
フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えています。
むすび.
むすび.1 優秀な人物がいなくなっても大丈夫
人間的判断で言えば、「ステファノのような優れた人物がいなくなったら
教会はその力が削がれてしまうだろう」と、考えることでしょう。
しかし、神の目から見たら違うのです。
むすび.2 その人を優秀にしているのは神だから
いかに優れた働きをする人がいたとしても、
そもそもその人の力は、神が与えた力だからです。
その人に元々備わっていた力ではなく、神が与えた力なのです。
むすび.3 神がいる限り大丈夫
ですから、彼に与えた力を他の人に与えることができる神がおられる限り
大丈夫なのです。人間的判断基準だけに頼る姿勢を、捨て去る必要があります。
人間的判断基準が、常に正しいのではないのです。
「あの優れた働きをしていたステファノが、殉教してしまった!
もうだめだ!彼のような人物は、もう教会にはいない、
教会は大きな力を失ってしまった!」と思う必要はなかったのです。
【優秀であってもなくても神により頼めば大丈夫】
私たちはいついかなる時でも、神により頼んでいくのです。
力の源である、神がおられるから失望することはないのです。
神に信頼する限り、絶対に大丈夫なのです。
「ステファノという優秀な働き人がいなくなったからもうだめだ」という
人間的判断は、捨てなければならなかったのです。
ステファノに大きな力を与え、ステファノを恵みにあふれさせておられた神がいる限り、
大丈夫だと、考えなければならなかったのです。
【今日の聖書】
主はわたしの力、わたしの盾
わたしの心は主に依り頼みます。
主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。
歌をささげて感謝いたします。
詩編 28編7節