一緒に食事をし
初代教会では、「喜びと真心をもって一緒に食事をしていた」と聖書に記されています。
食事の交わりは、教会のできた当初からありました。
食事の交わりは、礼拝や賛美や教えや祈りなどと同様、教会の中でなされていたのです。
しかも「喜びと真心をもって」食事をしていたということです。
何を喜んで食事をしていたのかといえば、イエスの十字架による罪の赦しと
信仰によって赦されることで与えられる、永遠の命であったことは確実です。
要するに、イエス・キリストの十字架を感謝して食事をしていたのです。
一緒に食事をするというのは、素晴らしい教会の交わりの一形態なのです。
教会の中では、単に霊的なことだけを求めて行っていたというのではなく、
肉体的に必要な食事も、喜びと真心をもって一緒にしていたというのです。
イエスと弟子たちが食事をしている記事も、聖書の中にちりばめられています。
教会では「礼拝と祈りだけで飲食はしません」ということではないのです。
神の国は、飲み食いではなく、
聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。
ローマの信徒への手紙 14章17節
「神の国は飲み食いではなく」というのだから、
「教会で飲食はしてはならない」ということではありません。
信徒の交わりというのは、「飲み食いに基づいた交わり」なのではなく、
聖霊による「霊的な基盤に基づく交わり」であって
その上で、飲食の交わりもあるのだということになります。
決して、飲食を否定しているわけではありません。
繰り返しますが、初代教会では、
喜びと真心をもって、一緒に食事をしていたのです。
食事の交わりは、教会のできた当初からあったのです。
【今日の聖書】
そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、
家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、
神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。
こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。
使徒言行録 2章46〜47節