今日のできごと


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2019/2/7(木)

 
大橋川と大山

「もうだめだ」こそ神の働かれる絶好のチャンス

1.パウロは危機的状況に陥った

 パウロは、アジア州で危機的状況に陥りました。

 兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、
 ぜひ知っていてほしい。
 わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、
 生きる望みさえ失ってしまいました。
 コリントの信徒への手紙二 1章8節

 9節を見ると、「わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。」
 と書いてあります。パウロたちは、その伝道旅行において
 耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ったのです。

 「もうだめだ、これ以上は進めない。」
 「もはやこれまで。ここで死を待つのみだ。」という状況に
 陥ったのです。

2.モーセの時代の出エジプト時も危機的状況に陥っている

 人間的に見て「もうだめだ」という状況は、
 パウロだけでなく、聖書の多くの人物が体験している状況です。
 出エジプトの時もそうでした。

 エジプト軍は彼らの後を追い、ファラオの馬と戦車、騎兵と歩兵は、
 ピ・ハヒロトの傍らで、バアル・ツェフォンの前の海辺に宿営している
 彼らに追いついた。
 ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、
 エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。
 イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、
 出エジプト記 14章9〜10節

 前は海、後からはエジプト軍が追って来るという状況です。
 海に入っても溺れるばかり、止まっていたらエジプト軍に追いつかれて
 やられてしまう。「もうだめだ」という状況でした。

 しかしそここそ、神の出番だったのです。
 モーセは語りました。

 主があなたたちのために戦われる。
 あなたたちは静かにしていなさい。」
 出エジプト記 14章14節

 神は、海の中に道を作られたのです。

 モーセが手を海に向かって差し伸べると、
 主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、
 海は乾いた地に変わり、水は分かれた。
 出エジプト記 14章21節

3.パウロは危機的状況で神だけを頼りにすることを学んだ

 人間的に、もうどうすることもできない状況は、
 実は、神の働かれる絶好のチャンスなのです。
 神に信頼して、神により頼む絶好の機会なのです。

 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。
 それで、自分を頼りにすることなく、
 死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。
 コリントの信徒への手紙二 1章9節

 パウロは、危機的状況において神だけを頼りにすることを学んだのです。
 神は、死者の中からキリストをよみがえらせたお方です。
 人間のできるレベルを、はるかに超えた全能のお方なのです。

 その神を信頼し、委ね、神の力と神の助けを待ち望んだのです。
 もはやそこに、自分の力を頼るということはありませんでした。
 ただ神だけを信じ、ただ神だけに頼ったのです。

 その信仰を、パウロたちは危機的状況で学び取り、
 自分のものとして、得ることができたのです。

 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、
 また救ってくださることでしょう。
 これからも救ってくださるにちがいないと、
 わたしたちは神に希望をかけています。
 コリントの信徒への手紙二 1章10節

むすび.もうだめだという状況は神により頼む絶好のチャンス

 私たちも、「もうだめだ」と思うような状況に陥ることがあるかもしれません。
 「これ以上できない、もうだめです。無理です。」
 その時こそ、神の働かれる絶好のチャンスなのです。

 神は、私たちが「自分の力に頼れないことを自覚する」
 その時を待っておられるのです。
 その時に私たちがすべきことは、何でしょうか?

 自分の力ではなく、神により頼むことです。
 イスラエルの人々がどんなにちからをあわせたところで、
 目の前に広がる海を分けて、道を作ることなどできなかったでしょう。

 しかし、神はそれをなしてくださったのです。
 「もうだめだ」ではなく、「今こそ神の働かれる時」だったのです。
 神により頼みましょう!素晴らしいことが、きっと起こるはずです。

 【今日の聖書】
 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。
 それで、自分を頼りにすることなく、
 死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。
 コリントの信徒への手紙二 1章9節


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