生きる望みさえ失うほどの苦難
パウロは、アジア州で「生きる望みさえ失う程の苦難」を体験しました。
耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失う程だったといいます。
パウロは、死の宣告を受けた思いだったと言っています。
そレ程の大きな凄まじい苦難によって、何が起きたでしょうか?
パウロ自身の心の変化です。
心の中が、変えられていったのです。
パウロは語っています。
「それで、自分を頼りにすることなく、
死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」と。
大きな苦難によって、「自分により頼もうとする思い」が取り除かれ
「全面的に神に信頼する思い」へと、心の中が変えられていったというのです。
それまではパウロの中にも、自分の力や経験、持ち物などにより頼もうとする
そういう思いがあったことが、伺えます。
事実、自分自身により頼もうとするなら、パウロはローマの市民権を持っており、
ガマリエルの元で受けた律法教育による、豊富な聖書知識も持っており、
ギリシア語もヘブライ語も、両方とも使えるという語学力がありました。
しかし、生きる望みさえ失う程の苦難を通ることによって
そういう「自分自身により頼もうとする思い」が取り除かれて、
「100%神により頼む思い」へと、パウロの心は変えられて行ったのです。
神に全面的により頼むとき、神はその信頼に応じた神のみわざを、
行うことができるようになるのです。そして、神のみわざが前進してゆくのです。
神は私たちに、そのようになってほしいと願っておられるのです。
ですからある場合は、生きる望みさえ失う程の苦難を通らせられるのです。
大きな苦難は、私たちを神に全面的により頼む者へと変えてくれるのです。
【今日の聖書】
兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、
ぜひ知っていてほしい。
わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、
生きる望みさえ失ってしまいました。
わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。
それで、自分を頼りにすることなく、
死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。
コリントの信徒への手紙二 1章8〜9節