妻のための命令
妻に対しての神の命令は、
「主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい」
というものです。
また、教会がキリストに仕えるように、
妻もすべての面で夫に仕えるべきです。
エフェソの信徒への手紙 5章24節
教会がキリストに仕えるように、夫に仕えなさいと言われています。
しかも「すべての面で」というのです。
「キリストに仕えるように」ですから、非常にきちんとした完全な仕え方です。
「そんなことはできるわけないから、そんなことしなくて良い」
という命令ではありません。できなければしなくてよいというものではないのです。
たとえ自分の力でできなくても、神のみむねはそこにあるのです。
いつも帰ってくるのは深夜の2時、3時、
ろくに話もしない毎日で、休日は寝てばかり、
帰ってくると、いつも酒臭い、そんな夫に仕えるのですか?
職場の女性には優しくするのに、
自分には命令してばかりで、話も聞いてくれない、
誕生日プレゼントの一つも買ってくれない、そんな夫に仕えるのですか?
夫の状況によらないのです。
「私を愛してくれていないのに、仕えるというのはおかしい、
ちゃんとした夫だから、夫が充分愛してくれているから仕えるんだ」
という条件付きでなく、条件なしで夫に仕えるべきなのです。
ここが崩れ去ると、夫婦関係ばかりでなく親子関係も崩れていきます。
子どもたちは、「父親に仕えない母親」を見て育つのです。
「父親には従わなくていいんだ」というメッセージを、
子どもたちは自然に、受け取ってしまいます。
夫に仕えない母親の態度が、子どもたちに伝わってしまうのです。
もし夫に対して妻が、偉そうな口のきき方をしていたらどうなるでしょうか?
もし妻が、夫を怒鳴りつけていたらどうなるでしょうか?
子どもはしっかり見ていますし、聞いています。
子どもは親の真似をします。母親を模範にして真似をしていきます。
母親が従わないのだから「父親には従わなくていい」という態度になります。
「父親は、従わなくても良い存在」という考えができあがってしまうのです。
聖書を知らずに、「妻は夫の状態によらずに夫に仕えるべきである」という
大切な姿勢を知らないで子育てをしていたら、このようになってしまいます。
またたとえ聖書を読んで、この言葉を理解していたとしても
聖書の言葉を自分流に解釈して、「この部分は文字通りに取らなくても
大丈夫だ」と考えてしまうと、そこに罠が潜んでいるのです。
聖書の言葉は真理です。しかし悪魔はそれを否定してくるのです。
悪魔は家庭を崩壊させたいのです。家庭の秩序や一致を乱したいのです。
父親に従わなくなった子どもたちは、その後どうなるでしょうか?
初めは、母親にだけは従っていたとしても
やがて母親にも従わなくなって、両親の手に負えなくなるのです。
その結果子どもたちは、親の権威に従わずにわがままに育つことになり、
結局権威を認めない、自己中心で協調性のない人間になってしまいます。
社会に適応できない大人に、なってしまうのです。
神にとって不可能はありませんから、
そうなってしまっても、回復の道はあるにはあるでしょう。
けれども、そうなる前に神の言葉に従っていれば
不要な苦しみを通らなくても済むのです。
今からでも遅くはありません。
神は祈り求めるものに、必ず助けを与えて下さるお方です。
子どもを立派な大人に育て上げたければ、妻は夫に仕えるべきなのです。
自分の力でできなくても、祈り求める時に神が知恵と力を与えてくださるのです。
【今日の聖書】
妻たちよ、主に仕えるように、
自分の夫に仕えなさい。
エフェソの信徒への手紙 5章22節
キンクロハジロの雄と雌(天神川)