ダニエルの願いを超えた祈りの答え
ダニエルのとりなしの祈りは、
「先祖の罪のために、今なお荒廃が続いているエルサレムを、回復してください」
という「悔い改め」と「バビロン捕囚からの救い」を求める祈りでした。
わたしたちの神よ、僕の祈りと嘆願に耳を傾けて、
荒廃した聖所に主御自身のために御顔の光を輝かしてください。
ダニエル書 9章17節
けれども、神の答えはその祈りの範疇をはるかに超えるものでした。
お前の民と聖なる都に対して
七十週が定められている。
それが過ぎると逆らいは終わり
罪は封じられ、不義は償われる。
とこしえの正義が到来し
幻と預言は封じられ
最も聖なる者に油が注がれる。
ダニエル書 9章24節
単に、当時のユダヤ人のバビロン捕囚からの救いにとどまらず、
「全世界の救い主メシア」の到来によって、世界中の人々に救いを与える
という答えだったのです。一時的ではなく、とこしえの正義の到来でした。
ダニエルは、当時の人々の救いを求めて祈りましたが
神の答えは、「時代を超え国境を超えた世界中の救いを与えよう」
という答えだったのです。
罪を赦し不義を償い、とこしえの正義をもたらす油注がれた救い主、
そして、不当に命を絶たれてしまう救い主、
すなわち、イエス・キリストの到来を示されたのでした。
その六十二週のあと油注がれた者は
不当に断たれ
ダニエル書 9章26節(前半)
ダニエルの求めた救いは、自分の置かれていた時代の
自分の民族すなわち、ユダヤ人たちだけの限定的な救いでしたが、
神の答えは、全世界の全時代の人々のために救い主を与えるという
時代を越え、国境を越える、限定のない約束だったのです。
私たちも限定的な祈りをしますが、それに対する神の答えが
私たちの限定を超える答えであることも、あり得るのです。
神の視野が、私たちの視野をはるかに超えているからです。
神は全世代、全世界を常に見ておられるのです。
そして、全世代、全世界に及ぶご自身のみわざをなそうとされているのです。
単に、私たちの住んでいる町の人々や、
私たちの生きている時代の人々に対してだけ
ご自身のみわざをなさるのではないのです。
世界的な視野、これから来るであろう時代を見据えて、
広い視野をもって、祈り求めていきたいと願います。
地域という限界、世代という限界を超えて、神のみわざが進んでいくように
たとえ自分の生きている時代に、それが成就しなくても、
次の世代以降で成就するように祈っていきたいと、そう思います。
神のみわざは、世代を超えて続いていくのです。
【今日の聖書】
彼は、わたしに理解させようとしてこう言った。
「ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た。
お前が嘆き祈り始めた時、御言葉が出されたので、
それを告げに来た。
お前は愛されている者なのだ。
この御言葉を悟り、この幻を理解せよ。
ダニエル書 9章22〜23節