大町桂月の出雲人論
明治31年に、
簸川中学が出雲に創立されますが、
その時に、
塩井正男(塩井
雨江)が、
教頭にむかえられます。
翌32年には、塩井の妹の夫であった
大町桂月が、国漢の先生として迎えられます。
この大町桂月が、『
一蓑一笠』という本を著すのですが、
その本の中に、「出雲雑感」というくだりがあります。
その出雲雑感の中に、当時の出雲人についての所感が述べられています。
桂月は、出雲に1年数か月しかいませんでしたが、
かなり詳細に、出雲人を観察していることがわかります。
中学の教師でしたから、毎日中学生を相手にしていたので
合点が行くのですが、藤岡大拙氏によると、
まさに当たっている点もあるが、
誤解して言い過ぎている点もあるとのことでした。
この本は、島根県立図書館に今もあり、
持ち出すことはできませんが、館内で閲覧できるようです。
このような明治時代の文献にあたるのも、興味深いことではあります。
明治31年7月から翌年5月まで、宣教師バックストンは
松江からイギリスに一時帰国していますので、
明治31年に出雲に来た大町桂月と会っていたかどうかは、わかりません。
けれども、大町桂月が出雲に居た時期と、バックストンが松江に居た時期は
確実にだぶっています。桂月が出雲で中学生に、国漢を教えていた時
バックストンは松江で、イエス・キリストを宣べ伝えていたのです。
【今日の聖書】
それから、イエスは言われた。
「全世界に行って、
すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
マルコによる福音書 16章15節