今日のできごと


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2018/5/24(木)



この徴税人のような者でもないことを感謝します

1.ファリサイ派の人と徴税人の祈りのたとえ

 徴税人とファリサイ派の人の祈りについて、イエスはたとえで語っておられます。

 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。
 『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、
  不正な者、姦通を犯す者でなく、
  また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。
  わたしは週に二度断食し、
  全収入の十分の一を献げています。』
 ルカによる福音書 18章11〜12節

 たとえで話されていたということですので、
 ノンフィクションではなく、フィクションだったと考えられますが、
 そこには、祈りの内容の明確な違いがみられます。
   譬え,たとえ話,比喩,ことわざ
  用語解説

2.徴税人の祈り

 徴税人の祈りは、『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
 という祈りでした。
 自分の罪を認めて、自分を低くした祈りでした。

 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、
 胸を打ちながら言った。
 『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
 ルカによる福音書 18章13節

 徴税人の祈りの特徴は、自分を罪人として認めていることです。
 さらに、神の前に罪人として認めたその上で、それでも神様は
 「こんな私をも憐れんでくださる」という信仰がそこに見られます。

 「自分は罪深すぎてもうだめだ」「神はもはやゆるして下さらない」
 「神は私を裁かれ捨てられる」という思いではありませんでした。
 だから「神様」と祈っているのです。

 @罪人のわたしを  自分の罪の認識
 A憐れんでください 神の憐れみを信じる信仰
 B神様       こんな私の祈りも神様は聞いて下さるという信仰

3.ファリサイ派の人の祈り

 しかしファリサイ派の人の祈りは、次のようなものでした。

 『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、
  不正な者、姦通を犯す者でなく、
  また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。...』

 自分が正しいことを感謝します、という祈りです。
 そして徴税人を見下し、徴税人は自分よりも罪深いとみなしていました。
 人と比較して、あの人よりかは「自分は正しい」だろうという祈りです。

 しかしこの祈りは、神に受け入れられなかったのです。
 人と比較して自分の方が正しいということは、できないことなのです。
 すべての人が罪人であるので、人のことは置いておいて

 自分自身が罪人であるということを、しっかり認識する必要があります。
 私たちは、罪を犯した人を見て「あの人より私の方が正しい」という思いを
 決してもたないよう、気をつけなければなりません。

 神様、私はこの「ファリサイ派の人のようでないことを感謝します」
 ということのないように、徴税人のように
 『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』と祈る者となっていきたいと願います。

4.パウロの告白に見られる罪認識

 パウロも言っています。

 「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は
 真実であり、そのまま受け入れるに値します。
 わたしは、その罪人の中で最たる者です。
 テモテへの手紙一 1章15節

  最たるもの
  用語解説

むすび. 自分自身の罪認識の重要性

 自分自身が罪人の最たるものであるという認識こそが、
 神の前に求められている、姿勢なのです。
 そこに隣人の関与する余地は、まったくないのです。

 【今日の聖書】
 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、
 胸を打ちながら言った。
 『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
 ルカによる福音書 18章13節


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