故意の罪に対する厳しい裁き
1.アナニアとサフィラは罪ゆえに命が絶たれた
1.1 アナニアとサフィラの行為は一見すると立派な行いに見える
アナニアとサフィラは、教会に献げ物をしています。
土地を売ったお金の一部ですから、おそらく多額の献げものです。
そのような高額な献げ物を、使徒たちの足元に置いたのです。
1) アナニアとサフィラは、正当に土地を売っています。
2) 彼らは何らの盗みも、不正もせずに土地の売上金としてお金を得ています。
3) 彼らは、教会に対して土地の売上金から多額の献金を献げています。
そこだけ見ると、特に何ら問題がないように思われます。
逆に、多くの献げ物を人に与える立派な信仰者と見受けられます。
アナニアとサフィラの他にも、バルナバは畑を売って献げていますし、
多くの人が、土地や家を売って献げていましたので
「特別にアナニアとサフィラだけがすごい」というのではなく、当時の教会では
「高額な献げ物をした人々の中の一人」という認識だったことでしょう。
1.2 アナニアとサフィラは嘘をついて献げていた
しかしアナニアとサフィラの献げ方に、問題がありました。
ところが、アナニアという男は、
妻のサフィラと相談して土地を売り、
妻も承知のうえで、代金をごまかし、
その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
使徒言行録 5章1〜2節
高額な献金を献げましたが、彼らはその献金をささげる時に、
それが、土地を売った値段の一部にもかかわらず
「土地を売った金額の全額です」と言って、献げてしまっています。
ペトロは彼女に話しかけた。
「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。
言いなさい。」
彼女は、「はい、その値段です」と言った。
使徒言行録 5章8節
堂々と「土地を売った金額の全額です」と言っているのです。
そこに嘘がありました。真実を隠し、嘘でごまかしていました。
しかも二人で示し合わせてごまかしています。
1.3 アナニアとサフィラの人生はそこで終わりをつげた
どうなったでしょうか?
ペトロは言った。
「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。
見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。
今度はあなたを担ぎ出すだろう。」
使徒言行録 5章9節
結局、夫婦二人とも、息絶えてしまうのです。
それ以上地上で生きることを、赦されなかったのです。
地上の教会にいれなくなってしまいました。
2.故意の罪に対する厳しい裁き
2.1 金額を申告するときに売上金額を少なく言っただけ
アナニアとサフィラの犯した罪について、みていきましょう。
1) 彼らは初犯です。何度も同じ罪を繰り返したわけではありません。
2) 誰も殺していませんし、暴力をふるったわけでも、盗んだわけでもありません。
3) 他の誰にも、直接的には迷惑をかけていません。
ただ、献げる時に金額をごまかしただけです。
土地を売った代金の、「一部」を献げただけなのに
それを「土地代の全額です」と言っただけなのです。
それで彼らの地上生涯は、神によって終わりを告げられてしまったのです。
私たちはここで、民数記の言葉を思い出します。
故意の罪についてです。
2.2 故意の罪に対する神の厳しさ
民数記には下記のように記されています。
ただし、土地に生まれた者であれ寄留者であれ、
故意に罪を犯した者は、主を冒涜する者であり、
その人は民の中から断たれる。
彼は主の言葉を侮り、その命令を破ったのであるから、
必ず断たれ、その罪責を負う。
民数記 15章30〜31節
わざと罪を犯した場合は、その人は民の中から断たれると言われています。
故意の罪の裁きは、死であるというのです。
それは、主を冒涜することだからという理由のゆえです。
知っていながら犯す罪というのは、知らずに犯してしまった罪と違って
「罪を犯そう」という意志決定の元に、行われるものです。
知らずに犯してしまった罪は、そのような意志とは無関係です。ここが大きな違いです。
2.3 ベルテシャツァル王は故意の罪を犯した結果殺されてしまった
これは異邦人に対しても、見られるものです。
バビロン捕囚の時の、バビロンの王ベルシャツァルがそうでした。
ベルテシャツァルは、ネブカドネツァル王の息子です。
彼は、父ネブカドネツァル王が、イスラエルの神こそ本当の神だということを、
体験的に知ったことを、目の当たりにして知っていました。
けれども、知っていたにもかかわらず真の神を侮ったのです。
そこで、エルサレムの神殿から奪って来た金銀の祭具が運び込まれ、
王や貴族、後宮の女たちがそれで酒を飲み始めた。
こうして酒を飲みながら、彼らは金や銀、青銅、鉄、
木や石などで造った神々をほめたたえた。
ダニエル書 5章3〜4節
礼拝するために使う祭具で酒を飲み、
神でないものを神としてほめているのです。
これに対する神の裁きは、厳しいものでした。
さて、ベルシャツァル王よ、あなたはその王子で、
これらのことをよくご存じでありながら、
なお、へりくだろうとはなさらなかった。
ダニエル書 5章22節
ダニエルはその罪を断罪します。
そしてベルテシャツァルは、その夜のうちに殺されてしまいました。
命が絶たれたのです。
その同じ夜、カルデア人の王ベルシャツァルは殺された。
ダニエル書 5章30節
3.故意の罪は非常に重く恐ろしい結果を招く
3.1 故意の罪は神を冒涜することに等しい
「故意に罪を犯した者は、主を冒涜する者であり、
その人は民の中から断たれる。」と民数記にあるように、
わざと悪いことだと知っていながら犯す罪は、神を冒涜することと同じというのです。
神は見ていない、神は見過ごされる、神が裁かれるはずがない
こういう思いでいるからこそ、故意の罪を犯すわけです。
要するに神を侮っているわけです。
アナニアとサフィラの場合、それが教会の中で堂々と行われていたわけです。
しかも夫婦が心を合わせて、示し合わせてそういうことを行っていたのです。
その結果、地上生涯をそこで終えなければならなくなってしまいました。
3.2 イスカリオテのユダも財布をごまかすという故意の罪を犯していた
故意の罪を犯した人物として有名なのが、イスカリオテのユダです。
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。
彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、
その中身をごまかしていたからである。
ヨハネによる福音書 12章6節
彼は盗人だったと記されています。
金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたのです。
彼は、盗みと偽りの罪を「悪いと知りつつも」犯し続けていたのです。
3.3 故意の罪は悪魔に対して大きく入り口を開き悪魔に利用される
罪とわかっていて、それを犯し続けるなら、
それはその人の「罠」となります。神を冒涜することになるだけでなく、
悪魔に対して、大きく入り口を開いてしまうことになるのです。
夕食のときであった。
既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、
イエスを裏切る考えを抱かせていた。
ヨハネによる福音書 13章2節
したがって、神は厳しく裁かれます。
教会に対して、そういうことがまかり通らないということを
極めて明確に、そして厳しく教えられました。
もはや教会には、同じような罪を犯そうとするものが
二度と出ない程の、恐れが生じているのです。
その上で、神のみわざが前進していったのです。
教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。
使徒たちの手によって、
多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。
使徒言行録 5章11〜12節(前半)
むすび. 故意の罪から離れる
故意の罪の危険性がわかります。
特に誰も見ていない時、自分一人だけの時が一番危険な時です。
主の目がどこにでもあることを、肝に銘じておきましょう。
そしてアナニアとサフィラのことを、忘れずに
いつも神に対する正しい恐れをもって、生活していきましょう。
神は私たちの一挙手一投足すべてを、愛の眼差しで見ておられるのです。
心の中までもすべてご存知なのです。
【今日の聖書】
ただし、土地に生まれた者であれ寄留者であれ、
故意に罪を犯した者は、主を冒涜する者であり、
その人は民の中から断たれる。
彼は主の言葉を侮り、その命令を破ったのであるから、
必ず断たれ、その罪責を負う。
民数記 15章30〜31節