信仰によって石を取り除けた
1.石を取り除けよという命令に反論することはいくらでもできた
イエスはラザロを復活させる時に、そこにいた人々に
墓の入り口をふさいでいた石を、取り除けるようお命じになりました。
イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、
死んだラザロの姉妹マルタが、
「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。
ヨハネによる福音書 11章39節
十字架にかけられて墓に葬られたイエスの、墓の石が、
女性3人では、どうやっても動かせない程だった事を考えると
ラザロの墓の石も、おそらく大きな石だったと思います。
ですから、一言で石を取り除けなさいと言われても、
女性だけでできるようなことではなかったと、考えられます。
片手間にちょちょっとやるだけでは難しい、大変な作業だったことでしょう。
屈強な男たちが、力を合わせて行う必要があったのではないでしょうか。
したがって、石を取り除けよと言われた時に、
それに反対しようと思えば、いくらでも理由をつけることができたはずです。
@ そんな重量物を、そこから動かすのは大変な作業だ!
A 今更動かした所で、悪臭が墓から出てくるだけだ!
B 自分の墓でもないのに、誰の許可を得てそんなことを命じるのか!
2.人々はイエスの言葉に従って、石を取り除けた
しかし人々は、石を取り除けたのです。
イエスの言葉に、従順に従っています。
そして、墓の入り口はぽっかり空いたのです。
人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。
「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。
ヨハネによる福音書 11章41節
聖書には、その時腐敗臭が漂って、人々は逃げ出したとか、
人々はそこに立っていることができなかったとは、書いてありません。
おそらく、まったく臭わなかったと考えられます。
すでにもうその時から、イエスの奇蹟は始まっていたのでしょう。
そして「ラザロよ出てきなさい」とイエスが言われると、
ラザロは、布に巻かれたまま出てきたのです。
こう言ってから、
「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。
顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、
「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
ヨハネによる福音書 11章43〜44節
3.人々は、まだその奇跡が起きていない時に信じて石を動かした
人々が石を取り除けたからこそ、ラザロは出てくることができたのです。
人々は、墓の中から「おれだおれだ!生き返ったんだ!開けてくれ!」
というラザロの声がするのを聞いたから、石を取り除けたのではなかったのです。
そんな声など聞こえずに、何も起こっていないように思えたその時に
ただイエスの言葉を信じて、それに従って石を取り除けたのです。
この信仰が、素晴らしいのです。
ラザロの復活の奇蹟には、人々の信仰も一躍買っているのです。
私たちが見倣う点は、この点です。
「見ないで信じて行動に移す」これが大切なのです。
むすび.もし不信仰で石を取り除けてなかったらラザロは出てこれなかった
もし、不信仰な心で反論していたらどうだったでしょうか?
ラザロは出て来れなかったのです。
「今更動かした所で、悪臭が墓から出てくるだけだ!」と常識的には思えます。
でもそこで、イエスの言葉を信じて従って、
非常識だけれどもやってみよう、という思いで実行したからこそ
復活したラザロは出て来れたのです。
主の御業は、信じる人との共同作業なのです。
私たちが信じて行動するときに、主の御業も進んでいくのです。
とするなら私たちがすることは、ただ一つです。
「主よ信じます」と告白して、信仰の行動をとるのみです。
神は信仰をとても喜んでくださるお方です。
逆に言うと、信仰がなければ神に喜ばれることはないのです。
【今日の聖書】
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認することです。
ヘブライ人への手紙 11章1節