勉強しちょーけん、遊びには行けんがー
「勉強してるから、遊びには行けないんだよねー」
これを出雲弁に変換すると、...
「勉強しちょーけん、遊びには行けんがー」となります。
出雲弁は、関西弁と違って関東のイントネーションと同じです。
イントネーションは関東と同じでも、言葉は大きく違います。
今日は、出雲弁の法則について少し説明したいと思います。
1.理由を表す接続語「ので」などが「けん」に変化する
「〜だから」「〜なので」などの接続語は、「〜けん」になります。
上記例文の「勉強しちょーけん、遊びには行けんがー」の
「勉強しちょー
けん」の「
けん」は、「だから」の意味です。
2.否定語尾「ない」が「ん」に変化する
「〜しない」「〜ない」等の否定語尾は、「〜ん」になります。
上記例文の「勉強しちょーけん、遊びには行けんがー」の
「遊びには行け
ん」の「行け
ん」は、「行け
ない」という否定の意味になります。
「してはいけない」は「いけん」、「いけないのにー」は「いけんにー」となります。
3.同意を求める語尾として「がー」が付加する
語尾の「がー」が難しい所で、
大人同士で話す時は、「ですがー」が良く出てきます。
子ども同士では「ですがー」は、ほとんど言いません。「です」はつけません。
「ですがー」は「ですよねー」とか、「〜と思いませんかぁ?」などと同意を求めたり、
「〜なんですよー」というニュアンスの語尾になります。
「が」というと逆接の意味に感じますが、「しかし」の意味はないようです。
他県の方が出雲弁を聞くと、語尾に「ガーガー」と聞こえるなあと、
思うと思います。「〜です」までは、ほぼ他県と同じですが、
その後の「がー」が独特です。他県にもみられる「けん」と違って出雲独特です。
4.「してる」などの「て」が「ちょ」に変化する
出雲弁で絶対言わないのは「してる」「やってる」です。
「て」が「ちょ」の発音に変化します。
「してる」は「し
ちょる」に、「やってる」は「やっ
ちょる」になります。
「してるから」は「し
ちょーけん」に、
「やってるから」は「やっ
ちょーけん」になります。
「少し待っててください」は「ちょんぼし待っ
ちょってください」となります。
5.動詞の「らりるれろ」は、だいたい長音「ー」に変化する
上記の「しちょーけん」「やっちょーけん」の「ー」は、
この法則に則っています。「る」が「ー」に変化しています。
「ある」が「あー」、「あります」が「あーます」
「あるから」は「あーけん」、「ありません」は「あーましぇん」
「あたりまえ」は「あたーまい」、「後戻り」は「あてもどー」となります。
6.その他、音からは推測できない独特な言葉
「どうぞ〜ください」というのは、「ごせー」になります。
「どうぞ食べて下さい」は「食べてごせー」
「やってください」は「やってごせー」となります。
難しい所では、「ころぶこと」を「まくれる」、「弁償」を「まどー」
「いつも」を「べったー」、「大きい」を「がいな」、と言います。
「すくも」は、もみ殻の事だそうです。
こういう単語は音から意味を想像できませんので、知らないと話が通じません。
聖書には、本来知らないはずの言葉で、
突然人々が、主を賛美し始めた出来事が記録されています。
ペンテコステの日のできごとです。
使徒言行録によると、ペンテコステの日に聖霊が降ると、
聖霊に満たされた人々は、各地の言葉で主のみわざを語って、
主を賛美していたので、集まってきた人々はみな驚きました。
この物音に大勢の人が集まって来た。
そして、だれもかれも、
自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
使徒言行録 2章6節
もしそこに出雲人がいたら「神様は、あなた方を愛していますから〜」は
「かんさんは、わやちをすいちょーけん〜」
と言う言葉で、語られていたことでしょう。
【今日の聖書】
2:7 人々は驚き怪しんで言った。
「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。
2:8 どうしてわたしたちは、
めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
2:9 わたしたちの中には、
パルティア、メディア、エラムからの者がおり、
また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、
2:10 フリギア、パンフィリア、エジプト、
キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。
また、ローマから来て滞在中の者、
2:11 ユダヤ人もいれば、
ユダヤ教への改宗者もおり、
クレタ、アラビアから来た者もいるのに、
彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
2:12 人々は皆驚き、とまどい、
「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。
使徒言行録 2章7〜12節