ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください
わたしが清くなるように。
わたしを洗ってください
雪よりも白くなるように。
詩編 51編9節
これは、ダビデ王が詠んだ詩です。
この時のダビデ王は、どのような状況にあったでしょうか?
1.ダビデ王は、家来ウリヤの妻を犯しウリヤを殺し妻を奪った
【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
ダビデがバト・シェバと通じたので
預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。】
詩編 51編1〜2節
1.1 ダビデ王はウリヤの妻バト・シェバと姦通した
これは、ダビデがバト・シェバと通じたので、ナタンが来た時の詩です。
ダビデが通じた(性的関係を持った)バト・シェバとは
いったい誰でしょうか?
ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。
それはエリアムの娘バト・シェバで、
ヘト人ウリヤの妻だということであった。
サムエル記下 11章3節
エリアムという人の娘で、すでに結婚しており
ウリヤという人の妻だった人です。
そのバト・シェバをダビデ王が妊娠させてしまいます。
1.2 ダビデ王は自分の犯した罪を隠そうとしてウリヤを殺した
そして夫ウリヤを、故意に戦場で死なせてしまうのです。
書状には、
「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、
彼を残して退却し、戦死させよ」
と書かれていた。
サムエル記下 11章15節
その後、バト・シェバを妻にしてしまいます。
喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、
妻にした。彼女は男の子を産んだ。
ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。
サムエル記下 11章27節
ダビデ王は、自身の性的欲望に負けてしまい、
権力に任せて、姦淫と殺人を犯し、他人の妻を盗むという
罪を犯してしまうのです。
1.3 預言者ナタンは、ダビデ王の犯した罪を指摘した
神様はそれを、見過ごしにはなさいませんでした。
そこに、預言者ナタンが遣わされます。
なぜ主の言葉を侮り、
わたしの意に背くことをしたのか。
あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、
その妻を奪って自分の妻とした。
ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。
サムエル記下 12章9節
預言者ナタンを通して、ダビデの犯した罪を
明らかにして指摘します。
その時に読んだ詩が、この詩編51編なのです。
2.ダビデは、悔いし、砕けし心をもって悔い改めた
神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
詩編 51編3節
2.1 ダビデは罪を告白した
ダビデ王は、罪を告白しました。
ダビデはナタンに言った。
「わたしは主に罪を犯した。」
サムエル記下 12章13節前半
ダビデ王は、神に憐れみを求めました。
神はそれに対して、何とお答えになられたでしょうか?
2.2 ナタンは、神からの罪の赦しを宣言した
預言者ナタンは、神からの罪の赦しを宣言するのです。
ナタンはダビデに言った。
「その主があなたの罪を取り除かれる。
あなたは死の罰を免れる。
サムエル記下 12章13節後半
この後ダビデは、
次のような裁きを受けることになりますが、
ダビデ王は死を免れ、赦されるのです。
1) 剣が家から去らない
それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。
(サム下12:10)
2) 妻たちが取り上げられる
あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。
(サム下12:11)
3) 生れ出る子が死ぬ
生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。
(サム下12:14)
こういう背景の元で、詠まれた詩がこの詩編51編なのです。
2.3 ダビデは、神の憐れみと赦しを信じて祈った
姦淫と殺人を犯し、他人の妻を盗むという、
ひどい罪を犯したダビデ王でしたが、
「神の前に私の犯した罪は、もう赦されない」
「もうだめだ、私の人生は終わりだ」とは考えず
それでも赦しを求めて、罪を悔い改めて祈っているのです。
ダビデの内にあったのは、打ち砕かれた悔いる心でした。
神の憐れみと赦しを請い求める心でした。
わたしの咎をことごとく洗い
罪から清めてください。
詩編 51編4節
ダビデは、神が決して悔いる心を侮られないことを
知っていました。
しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。
詩編 51編19節
3.神の赦しは私たちの思いを超えている
神は、どうしてこんなにひどい罪を赦されたのだろうか?
と疑問に思えるようなことです。
死の刑罰でも、決しておかしくないことだったかもしれません。
しかし主は赦されたのです。
主の赦しの大きさは、私たちの思いを
はるかに高く、超えているのです。
神に逆らう者はその道を離れ
悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
わたしたちの神に立ち帰るならば
豊かに赦してくださる。
わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。
イザヤ書 55章7〜9節
むすび.自分自身を赦せなくても神は赦してくださる
自分の罪深さにどうしようもなくなった時、
ダビデを赦してくださった、主なる神様を
思い出してください。
たとえそれがどんな罪であろうと、
真心から悔い改めるなら、神様は必ず赦してくださるのです。
神様の赦しは、私たちの思いをはるかに超えて高いのです。
【今日の聖書】
論じ合おうではないか、と主は言われる。
たとえ、お前たちの罪が緋のようでも
雪のように白くなることができる。
たとえ、紅のようであっても
羊の毛のようになることができる。
イザヤ書 1章18節