今日のできごと
2016/9/18(日)

今日は、日本基督教団 松江教会で、
松江地域の教会が集まって、一致祈祷会が開かれました。
説教は、日本基督教団 松江北堀教会の石尾英幸牧師でした。
聖書箇所は、ルカによる福音書18章1〜8節からでした。
イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを
教えるために、弟子たちにたとえを話された。
「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
ところが、その町に一人のやもめがいて、
裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、
わたしを守ってください』と言っていた。
裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。
しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、
人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、
うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。
さもないと、ひっきりなしにやって来て、
わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」
それから、主は言われた。
「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。
まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために
裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。
しかし、人の子が来るとき、
果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」
ルカによる福音書 18章1〜8節
忍耐強く、2時間でも3時間でも半日でも、祈り続けなさい
「神は必ずその祈りを聞いてくださいます」というようなことも
語られましたが、ポイントはそこではありませんでした。
実は、「絶えず祈りなさい」と言われても、
「それができない自分がいるのだ」ということです。
自分の力では、集中力も途切れてしまうし、
継続して祈り続けることは、自分の力では
できないことなのだということです。
それを認める必要があるということでした。
自分自身の強さは、なくてよいのであって、
「弱い私に、神が祈る心を与えてくださる」と信じること
「私はできません」から始まるということ、これがポイントでした。
神に祈る力を求め、その力によって祈り続けなさい、
祈りのない説教は、説教になっていません、
ということも、教えていただきました。
石尾英幸先生は、ウォーキングをしているそうですが、
ウォーキングしながら祈っているそうです。
普段からよく祈っておられるということが、にじみ出ていました。
【今日の聖書】
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、
願い求め、すべての聖なる者たちのために、
絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
エフェソの信徒への手紙 6章18節