今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2016/7/8(金)


 イエス・キリストを信じる人々には、
 神との平和が、今、実現しています。
 神と親しい、愛の関係が回復されているのです。

 敵であったときでさえ、
 御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、
 和解させていただいた今は、
 御子の命によって救われるのはなおさらです。
 ローマの信徒への手紙 5章10節

 本来、神に背いていた罪人であったにもかかわらず
 イエス・キリストの十字架の死によって、
 神と和解させていただいたということがわかります。

 ここで使われている「和解」という言葉ですが、
 この言葉は、織田昭 電子版「新約聖書ギリシャ語小辞典」
 改訂第4版では、下記のように説明されています。
   (カタラッソウ)
 

 要するに、日本語の「和解」という言葉では、
 どうしても、「両者対等」の意味合いが含まれてしまうのですが、
 神と人との場合、決して対等ではなく、神からの一方的な「恵み」

 神からの一方的な「憐み」であるのだ、ということです。
 人間が何かをしたから和解したのではなく、
 神が和解のためのすべてをしてくださったということです。

 この個所は、織田昭の私訳では、次のようになっています。
 「御子の死のお陰で私たちは(以前とは全く違う)
  新しい身分を受けて神のものとされたのである」


 和解という言葉を、「新しい身分を受けて神のものとされた」と
 訳しています。織田昭によれば、

 神が人や被造物を「和解なさる」という場合,
 両者が「和解」に至るのではなく、
 神が人を(人の身分と立場,神との関係を)完変して,
 呪われたものを御自分の子に変えてしまうことが,
 パウロの言う意味の基本にあると思われる

 (アポカタラッソウの項参照)ということです。

 11節にも「和解させていただいた」と繰り返されているように、
 和解は、神がしてくださったことなのです。
 人の力は、何一つ関係ないのです。

 それだけでなく、
 わたしたちの主イエス・キリストによって、
 わたしたちは神を誇りとしています。
 今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
 ローマの信徒への手紙 5章11節

 同じ言葉がコリントの信徒への手紙2にも記されています。
 コリントの信徒への手紙二 5章18〜20節には、
 次のように記されています。

 18 これらはすべて神から出ることであって、
 神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、
 また、和解のために奉仕する任務を
 わたしたちにお授けになりました。

 19 つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、
 人々の罪の責任を問うことなく、
 和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。

 20 ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、
 わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。
 キリストに代わってお願いします。
 神と和解させていただきなさい。
 コリントの信徒への手紙二 5章18〜20節

 この個所は、織田昭の私訳では、次のようになっています。
 「...キリストによって私たちを全く新しいものに変えて
  御自分のものになさった方(神)から...」(Uコリ5:18)


 「神はまさにキリストを使って世の人の身分を一新して
  御自分のものにしようとなさって,...」(Uコリ5:19)


 「 ...(全く変えられた)神との新しい関係を頂戴しなさい。」
 (Uコリ5:20)


 今はイエス・キリストによって、完全にゆるされているので、
 神と完全に和解しているわけです。
 ですから私たちは、大胆に神に近づくことができるのです。

 とするならば、私たちは、もっともっと
 大胆に神様に、近づいていこうではありませんか!
 もっとっもっと賛美し、祈り、聖書を読んでいきましょう!

 ハレルヤ!

 【今日の聖書】
 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、
 十字架によって敵意を滅ぼされました。
 エフェソの信徒への手紙 2章16節

 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、
 時宜にかなった助けをいただくために、
 大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
 ヘブライ人への手紙 4章16節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新