今日のできごと


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2016/6/22(水)


 祈りを妨げるものとは、一体何でしょうか?

 「祈っても無駄、聞かれない」
 「祈らなくても、神様は祈る前から願っていることを知っておられる。
  それなら、何も私が祈らなくてもいいではないか?」

 いろいろあるでしょう。
 そもそも、祈りとはいったい何でしょうか?
 神様が、私たちの必要を知りたいのでしょうか?

 神様は、すでに私たちひとりひとりの心の中の
 すべての思いを、隅々までご存知です。
 私が祈らずとも、すでに充分わかっておられるのです。

 私が祈らなくても、神様は私の願いを実現させることができます。
 私が祈らなければ、神様が御業を行えないということはありません。
 私の力など、借りなくてもまったく問題ありません。

 祈りは、神様からのプレゼントです。
 祈ることを通して、何が変わるのでしょうか?
 主の祈りで「願わくは御名をあがめさせたまえ」と祈ります。

 御名をあがめるのは誰でしょうか?
 神様でしょうか?
 私たち自身です。私が御名をあがめるのです。

 「御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」と祈ります。
 この地上において、御心を行ってゆくのは誰でしょうか?
 ほかでもない、私たちひとりひとりです。

 主の祈りを祈るときに、私が吟味されてゆきます。
 私は今、神の御名をあがめていただろうか?
 私は今、神のみ心にかなうことをしていただろうか?

 神に祈るときに、私たち自身が、変わってゆくのです。
 ゲッセマネの祈りは、イエス様の思いが父なる神の御心に
 変わってゆく祈りでした。

 私たちは、祈ることを通して、神の御心を知って、
 自我が砕かれていきます。
 自己中心的な思いから、神の御心へと思いが移行していくのです。

 「わたしはあの人を絶対に許せません」という祈りが
 「われらに罪を犯すものをわれらが許すごとく、
  われらの罪をもゆるしたまえ」という祈りに変わってゆきます。

 「あの人を許せません」という思いから
 「許せない私をゆるしてください」という祈りに変わってゆくのです。
 自分の思いが砕かれ、神の御心に近づいてゆくのです。

 これこそが、神の願っておられることなのです。
 神様は、私たちを変えようとされているのです。
 私たちが自分自身で祈るときに、祈りの中で自分が変わってゆくのです。

 そこに、私たちの成長があるのです。
 祈りは私たちの思いが、神の御心に近づくための、
 神様からのプレゼントなのです。

 祈ることなしに、私の成長はあり得ません。
 祈ることなしに、神の御心に近づくことはできません。
 祈りは私を変える、唯一の方法です。

 【今日の聖書】
 万物の終わりが迫っています。
 だから、
 思慮深くふるまい、
 身を慎んで、
 よく祈りなさい。
 ペトロの手紙一 4章7節


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