今日のできごと


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2016/6/20(月)


 おいしいソフトクリームが、どんなに安く売っていたとしても
 すでに違うソフトクリームを食べた直後だったら、
 買って食べよう、という気にはなりません。

 冷蔵庫に玉子が、20個も30個も入っていれば
 どんなに玉子が安売りされていたとしても、
 買って帰ることはないでしょう。

 充分にあれば、ほしいとは思いません。
 けれども、冷蔵庫に玉子が1つもないのに、
 たくさんあると勘違いしていたらどうでしょうか?

 本当は1つもないにもかかわらず、
 「家にまだたくさんあるから」と思ってしまって
 「買って帰らなければ」とは思わなくなってしまうのです。

 ないことに気づかないと、求めようとしないのです。
 ないことに気づいて、はじめて求めるようになります。
 ないことを知っているということが、求めることの前提となります。

 祈りも同じです。私はすでに持っている、私は自分の力でできると
 勘違いしていると、求めなくなります。祈らなくなるのです。
 自分でできると思っていれば、力を求めて祈ることはしないでしょう。

 自分がからっぽであることに、気づかなければなりません。
 「愛も力も思慮分別も、元々自分にはありません」
 と気づいて初めて、それを祈り求めるようになるのです。

 祈りとは、「自分がからっぽであること」を認識することから
 始まっていきます。自分のうちにないから、神に祈り求めるのです。
 そして神が求めてくるものに、惜しみなく与えてくださるということを

 信じることによって、進んでいきます。
 求めて与えられると、さらに求めるようになり、
 祈りの良い循環が、続いていくのです。

 【今日の聖書】
 「求めなさい。そうすれば、与えられる。
  探しなさい。そうすれば、見つかる。
  門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

  だれでも、求める者は受け、
  探す者は見つけ、
  門をたたく者には開かれる。
 マタイによる福音書 7章7〜8節


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