今日のできごと
2016/4/30(土)

高校時代、友人と聖書の論議をしたことがあります。
「聖書には、人に見せるために良いことをするのは良くない
と書いてあるが、人に見せるためであっても、
良いことをすることは良いではないか」と彼は言っていました。
確かにそれは一理あります。
たとえば、川で溺れている人がいたときに、
川に飛び込んでその人を助け出したとします。
その時、もし救助した人が
自分の名誉を得るために助けたのだとしても、
ひとりの人の命を救ったことには変わりないから、
それは良いことではないか?
見て見ぬ振りをして見殺しにするより、
ずっといいではないか?というのです。
確かにそうです。
見殺しにすることと比べれば、ずっと良いことだと思います。
しかし神様の目から見たらどうでしょうか?
たとえその結果が、人の命を助けるほどの優れたことであっても
そこに愛がなければむなしいことですと言われています。
神様が見ておられるのは、その動機なのです。
結果ではないのです。
神様の基準は、私たちの考える基準とは大きく違っていることを
聖書から教えられます。
愛がどれほど重要であるのかを教えられます。
【今日の聖書】
コリント人への手紙第1 13章3節
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、
また私のからだを焼かれるために渡しても、
愛がなければ、何の役にも立ちません。