今日のできごと


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2016/4/28(木)


 「あれっ!ここにあった○○のパンどうした?」
 「えっ!いらないんだと思って、食べちゃったよ」
 「えっー!あとで食べさせようと思ってたのに〜」

 こんな会話は、どこの家庭からも聞こえてきそうです。
 ひとの靴を間違って履いてしまったら、返すことができます。
 傘を間違って持って行ってしまっても、返すことができます。

 しかし一旦食べてしまったら、どうしようもありません。
 返すことはできません。
 食べたらそれは、その人だけのものになります。

 食べるということは、やり直しが効かないのです。
 一旦食べてしまったら、もう元には戻せません。
 食べてしまったという事実が残ります。

 アダムとエバは、「善悪の知識の木」の実を食べてしまいました。
 一旦食べた以上、食べなかったことにはできませんでした。
 ここから人類全体に及ぶ罪が始まりました。

 争いや殺人、姦淫や盗み、うそや貪欲など一切の罪は、
 ここから始まったのです。たった1つの実を食べただけで、
 そこから人類の恐ろしい罪の歴史が始まりました。

 神様が与えてくださった「食べる」という素晴らしい仕組みを、
 神に背くことに使ってしまったため、恐ろしい結果になりました。
 人類の罪は、食べてはならなかったものを「食べてしまった」

 そこから始まっているのです。
 アダムとエバが、「食べなかったことにしてほしい」と
 神に願ったとしても、それは取り返しがつかないことだったのです。

 しかしその罪は、イエス・キリストの十字架によって解決しました。
 なかったことにはできませんでしたが、その罰をキリストが受ける
 ことによって、解決がもたらされました。

 キリストを信じたら、私たちは罪がゆるされ解放されます。
 そして今度は、本当に食べなければならないものを
 いただくようになるのです。

 聖餐式です。
 聖餐式では、十字架で裂かれたキリストの体を覚えてパンを食べます。
 そして流された血を覚えて、ぶどう液を飲むのです。

 【今日の聖書】
 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、
 賛美の祈りを唱えて、それを裂き、
 弟子たちに与えながら言われた。
 「取って食べなさい。これはわたしの体である。」

 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。
「皆、この杯から飲みなさい。
 これは、罪が赦されるように、多くの人のために
 流されるわたしの血、契約の血である。

 マタイによる福音書 26章26〜28節


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