今日のできごと


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2016/10/12(水)


 今日は、祈祷会を行いました。
 今日の聖書箇所は、列王記上17章17〜24節でした。
 みんなで読んで、感じたこと教えられたことを分かち合いました。

 1.突然やもめの息子が死んでしまう

 1.1 息子の死という恐ろしい出来事が起こる

 貧しいシドンのサレプタのやもめが、
 エリヤにまずパン菓子を作って、持って行ったところ
 壺の粉が尽きず、瓶の油はなくなることがないようになりました。

 その後、この家庭に大変なことが起こります。
 やもめの息子が、重い病気にかかってしまったのです。
 そしてあろうことか、息を引き取ってしまうのです。

 1.2 エリヤにとっても驚きと理解不能な出来事

 エリヤもこれには驚きました。

 彼は主に向かって祈った。
 「主よ、わが神よ、
  あなたは、わたしが身を寄せている
  このやもめにさえ災いをもたらし、
  その息子の命をお取りになるのですか。」
 列王紀上 17章20節

 「なぜ、あなたが導かれたこの家の息子の命を
  とってしまわれるのですか?」と、神に問いかけ祈っています。
 預言者エリヤにも、わからなかったのです。

 1.3 息子の死はやもめを打ちのめした

 「エリヤは、...彼女のふところから息子を受け取り」と
 あります。ふところに抱けるほどの小さい子供ですから、
 きっと乳幼児だったのでしょう。

 若くして夫を亡くし、幼い子供をひとりで育て、
 貧しい中で、苦労してきたやもめにとって、
 その子供が死んでしまうというのは、

 どれほどの悲しみだったことでしょう。
 壺の粉が尽きず、瓶の油はなくならないという
 神の素晴らしい奇跡を体験していても、

 そんな奇跡の喜びも、どこかに吹き飛んで行って
 しまっています。そうです、食糧がどんなにあっても、
 子供の命とは、比較にならないのです。

 2.やもめの悲しみと怒りはエリヤに向かう

 2.1 やもめはエリヤに向かって悲しみをぶつけます

 その悲しみと怒りはエリヤに向かって、
 ぶつけられます。

 彼女はエリヤに言った。
 「神の人よ、あなたはわたしに
  どんなかかわりがあるのでしょうか。
  あなたはわたしに罪を思い起こさせ、
  息子を死なせるために来られたのですか。」
 列王紀上 17章18節

 2.2 神の奇跡を体験していたが悲しみの方がはるかに強かった

 おそらくこの時でも、壺の粉は尽きず、
 瓶の油はなくならず、必要なだけ出ていたことでしょう。
 そういう奇跡の真っただ中にあっても、

 その感謝と喜びは、息子の死によって
 吹き飛んでしまっているのです。
 ただただ、悲しみと怒りの中に沈み込んでしまいました。

 2.3 エリヤは息子の生き返りを願って祈る

 エリヤは祈ります。

 彼は子供の上に三度身を重ねてから、
 また主に向かって祈った。
 「主よ、わが神よ、
  この子の命を元に返してください。」
 列王紀上 17章21節

 何とエリヤは、息子が生き返るように祈っているのです。
 神は死んだ者も生き返らせてくださる、という信仰なのです。
 エリヤの祈りに、主なる神は答えられました。

 3.神が息子を生き返らせる

 3.1 神は祈りに答えられ、やもめの信仰が確かになる

 主は、エリヤの声に耳を傾け、
 その子の命を元にお返しになった。
 子供は生き返った。
 列王紀上 17章22節

 死んだ息子が生き返ったのです。
 どれほどやもめは、喜んだことでしょうか!
 息子が元気なままでいた時よりも、

 はるかに勝る喜びで、満ち溢れたことでしょう。
 彼女は悟ります、エリヤが本物の神の預言者であることを。
 エリヤの語る言葉こそ、主なる神の言葉であると。

 3.2 死んで生き返ったからこそそうなった

 もし、息子が死んで生き返らなければ悟ることはなかったでしょう。
 息子が死んだからこそ、生き返るという奇跡を体験し、
 生き返らせてくださった神を、信じることになったのです。

 3.3 イエス・キリストの十字架と復活を連想する

 神のひとり子イエス・キリストは、十字架で死んだ後
 3日目に復活しましたが、そのことによって人々は
 イエス・キリストこそ、正真正銘の救い主とわかったのです。

 この箇所は、まさにそのことを彷彿とさせる箇所です。
 十字架の死で終わっていたとしたら、絶望で終わっていたことでしょう。
 復活したからこそ、真の救い主であるという確信と、

 希望と喜びが訪れたのです。

 むすび.やもめと息子は偶像礼拝の地で希望の光となった

 むすび.1 このできごとは偶像崇拝の地シドンで起きている

 そしてさらに素晴らしいのは、このやもめがいたのがシドンの
 サレプタという場所だったという点です。
 シドンはどういう地だったでしょうか?

 そこはまさに偶像崇拝のはびこる地でした。
 なぜなら、あのアハブ王の妻イゼベルの父エトバアルが
 王として支配していた地こそ、シドンだったからです。

 イゼベルは、アハブ王と結婚することによって、
 イスラエルにバアル礼拝を持ち込んだ女性です。
 そのような娘イゼベルを育てたのが、父親エトバアルなのです。

 シドンがどれほどバアル教に支配されていたかは、
 想像に難くありません。
 バアル教が、人々の生活を支配していたのではないでしょうか?

 そのようなバアル教のはびこる地で、エリヤを通してやもめが
 まことの神である、主なる神を信じたということは、
 闇の世界に、ひとつの大きな希望の光が差したことになります。

 おそらくこの後、やもめもその息子も
 真の神を証する人となって、この地に神を伝えていった
 ことでしょう。暗闇に光を照らしたことでしょう。

 むすび.2 息子の死は生き返りに続いたので、逆に神の証となった

 息子の死は決して、悲しむべき出来事ではなかったのです。
 まったくその逆だったのです。
 偶像礼拝のはびこる地で、夫を亡くし、極貧の生活を強いられ

 さらにその上息子が死んでしまうという、3重4重の苦しみの中で
 もう絶望するしかないような、そんな状況で、
 神はエリヤの祈りに答えてくださって、すべてが逆転しました。

 息子は生き返り、偶像崇拝の地で、
 粉と油が尽きないという神の祝福とともに、
 死人をも生き返らせるという、神の偉大な力を体験し、

 立派な神の証人となっていったのです。

 むすび.3 イエス・キリストも語っておられる

 イエス様も、この人のことを語っています。

 確かに言っておく。
 エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、
 その地方一帯に大飢饉が起こったとき、
 イスラエルには多くのやもめがいたが、
 エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、
 シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。
 ルカによる福音書 4章25〜26節

 イエス様も語られたように、このやもめの女性は
 異邦人の地にあって、預言者エリヤを通して
 神を信じる人となったのです。

 【今日の聖書】
 女はエリヤに言った。
 「今わたしは分かりました。
  あなたはまことに神の人です。
  あなたの口にある主の言葉は真実です。」
 列王紀上 17章24節


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