『ただ、神お一人が崇められる教会、聖書が神の言葉として語られる教会、一人一人が大事にされる教会・・・』

チェンマイ日本語教会の歩み

チェンマイ日本語教会の始まりは、今から約15年ほど前まで遡ります。

チェンマイに来た日本人クリスチャンが日本語の教会も日本人クリスチャンのフェローシップもないチェンマイで生活していくうちに信仰を失っていって しまうのを見て心を痛めた大里宣教師夫妻が自宅で日本人クリスチャンを集めて祈祷会を始めました。そして、クリスマスやイースターには日本人クリスチャン が集まって日本語で礼拝を持つようになりました。

ある年のイースターに大里宣教師夫妻の働きの場であるカレン聖書学院内にあるカレン教会で日本人クリスチャンたちが特別賛美をしました。その帰りに 学院内にある先生方の家を訪ねた一行から、「月に一度でいいから、母国語である日本語で礼拝を持ちたい」という声があがり、その声に答える形で、大里宣教 師夫妻が自宅を開放したことが、今あるチェンマイ日本語教会のスタートだと言えるでしょう。

しかし、宣教活動を行いながらの、月一度の奉仕が難しくなり、同じくタイの少数民族への宣教をしておられる有澤牧師夫妻の助けを求め、両牧師が隔月 で奉仕を受け持つという形で、月一度というスタイルで長年引き継がれてきました。

しかし、隔月といえども、やはり、それぞれの働きを持つ両牧師への負担が大きく、月一度の礼拝を持つこと自体が非常に難しくなってきました。新しい 奉仕者を立てることが出来なければ、この集会はなくなってしまう。そんな危機的な状態の中、有澤先生が(働きの場である)ニュースレターに、チェンマイ日 本語教会の危機的状態を訴え、奉仕してくれる牧師を求めている旨を掲載。何ヶ月もその求めに対する応答がないまま、決断をする時期が近づいてきたそんなと き、以前、タイ国で宣教師をしていた牧師の野尻牧師夫妻が、チェンマイ日本語教会のためにタイの地を踏むことを決断してくださったのです。

そのときのことを野尻先生はこう言われています。

「いつもは牧会で忙しく、あまりじっくりと目を通すことのなかったニュースレターを、その月はなぜか不思議なように端から端まで目を通した。そし て、有澤宣教師の書かれたチェンマイでの教会での状況を知り、羊飼いが遣わされなければチェンマイの羊の群れが散り散りになってしまう、という状況を知っ たとき、これは私が行かなくてはいけない、と思った。」

後に分かったことですが、野尻先生の読まれたそのニュースレターは、数ヶ月に渡る有澤宣教師の最後の呼びかけが掲載された号だったのです。ハレル ヤ!

こうして、川越で牧会をされていた野尻先生ご夫妻は、教会を後任の牧師先生に任せ、日本での家財道具等すべてを処分されて、チェンマイへいらっしゃ いました。

一度は存続の危機に瀕していたチェンマイ日本語教会が、野尻先生夫妻を迎え、2004年秋より、週一度、日本語で礼拝を持つ恵に預かることになりま した。

この3年間で多くの方がイエス様にお会いし、神の子供となりました。チェンマイ日本語教会は徐々に大きくなり、そこに集う私たちは、神の家族として 支えあい、認め合い、その絆は日に日に強いものになっています。

チェンマイ日本語教会に是非一度お越し下さい。