PC活用研究フォーラム


目 次


このフォーラムについて


こんな思い、経験ありませんか?

 これらの疑問は多くの人が持っているものではないでしょうか。しかし世の中に出回っている雑誌や解説書はこれらの疑問にほとんど答えてはくれません。それらはパソコンの機械的なことについては、目にも綾な(?)専門用語をちりばめて、事細かに説明するのですが、読んでいる方にとってはチンプンカンプン。肝心の「どのように使えるのか?」という点については、全くと言っていいほど語ってはくれません。その結果、かなり無理して買った高価な最新型パソコンが、部屋の片隅でホコリをかぶっているという人も多いと聞きます。


このフォーラムを設けた目的


皆さんがここにアクセスして下さったということは、既に相当の経験と試行錯誤を積んで来られたということを示していると思います。このコーナーはそうした皆さんと共に「クリスチャンライフとパソコン」ということについて、一緒に考えたり、意見を交換し合い、恵みとして与えられているコンピュータという道具を、使い方という観点から、より有用なものにしていきたいという目的で設けました。

 そういう視点から特にソフトウェアの活用方法などを中心にして、疑問やご意見、アイディア、ノウハウ等を交換し合たく思っています。皆さんの積極的な参加をお待ちしています。


あなたにこんな経験はありませんか?


パソコン導入へのいきさつ - 私の場合 -

 「パソコンで何ができるんだい?」という私の質問に対して、コンピュータのセールスマンは「何でもできます。何がしたいか言って下さい。」の押し問答で要領を得ませんでした。

 ほとんど何でもできると言うけれども、何ができるか分からない機械に何十万もの設備投資をする気持ちも、また経済的余裕も私にはありませんでした。 それで、今から見ると全く考えられないことですが、最初の頃は、紙に週報や聖書研究会の教材などの原稿を書き、それををワープロを使って清書していたのです。今から、8年ほど前のことでした。(「なぜそれが“考えられないこと”なのか」という疑問をお持ちの方がおられるなら、読み進めて下さい。後で説明が出てきます。)

 しかし、転機はこのホーム・ページにも掲載している「キリストの真理」の翻訳を手がけたときに、訪れました。原稿が100枚以上になり、ワープロ専用機の取り扱い容量の限界に直面してしまったからです。というのは、その時私の持っていたワープロでは、ファイルの最大容量が10頁ほどだったので、作業がとても煩雑になり、しかも目次や索引を付ける機能がなく、これらを解決するにはパソコンが必要であるということが分かったのです。

 ただ、パソコンが解決策であり、有用であるということが分かっても、開拓伝道の貧乏牧師にとっては、経済的にも到底無理な金額のものです。そんな折、パソコンの必要性をある方との雑談で話していたとき、「そのことについて祈ったのですか」と言われ、ハッとしたことがありました。実は、伝道にどの程度活用することができるのかということにも不明な点が多々あり、祈りの項目に加えるにも一抹の抵抗感をもっていたのでした。しかし、意を決して(!)祈りに加えることにしたのです。

 必要な機械はそれからしばらくして、思いがけない所から与えられました。「もう使っていないから」ということで、私がパートをしていた会社からNECのPC98−UV(CPU:V30)がプリンター付で与えられたのです。7年ほど前のことです。これによって翻訳したものはジャスト・システムの「一太郎」を使ってきれいに仕上がりました。ドットインパクト方式のこのプリンターの方は今でも活躍しています。

 これが私のパソコン事始めでした。しかしこのあとすぐにパソコンライフが始まったのかというと、そうではありません。というのは、ウィンドウズが出る前のパソコンは機械やソフトウェアの設定などすべてを、手作業で行わなければならず、とても素人の私の手に負えるものではなかったからです。幸い教会員の方のご主人がコンピュータのシステム・エンジニア(プログラマーの親分のような仕事をする人)で、その方の親切な指導を得て、徐々に聖書研究へのパソコンの環境作りができていきました。パソコンの機械面(=ハードウェア)のこうした環境作りのことを「環境設定」と言うのだそうです。

 このシステム・エンジニアの方が、当時「一太郎」しか知らない私に紹介して下さったのが、「マイフェス」と呼ばれるエディター・ソフトウェアでした。エディターというのは、もともとはプログラマーがプログラミングのソースを作るための道具として開発されたものなのだそうです。取扱説明書にはこんな風に書かれていました。

“エディタはテキストファイルを作成するためのツールです。ワープロのように文字飾りをつけて印刷するような派手な機能はありません。しかし、実際に文章を作成する必要に迫られれば、派手な機能よりも入力や編集をてきぱきできることの方がはるかに大切だということを痛感すると思います。

 エディタはもともとはプログラムのソースリストを作成するためのツールとして開発されました。プログラムのソースリストが能率良く作成できるかどうかはプログラムの開発効率を大きく支配します。 … テキストファイルを能率良く作成することができるということはプログラムの開発ばかりでなく、文章を書く上にとっても重要なことです。

 どんなに機能が盛りだくさんであっても、入力や編集の使い勝手が悪くては考えながら文章の作成をするという用途には適しません。エディタのテキストファイル作成機能は、施行を中断することなく文章を作成することができるので、文章を書く必要性に迫られている人々にも支持を受けるようになりました。これがエディタの人気の秘密ではないかと思います。”

 実際、エディタを使い慣れるとその高速性、柔軟性、ワープロ・ソフトウェアとは異なった意味での高機能性などから手放せないものとなります。特に後で詳しく触れたいと思いますが、マクロと呼ばれる機能が優れた働きを持っており、このマクロ機能がパソコンを使った聖書研究環境の構築にどれほど助けになったかは数え切れないほどです。

 現在、メッセージの準備はすべてパソコン上でおこなっています。パソコンに出会うまでの私の聖書研究は、もとになる聖書原文を訳書や注解書、各種文献を参照しながら学んでいき、それらから得られた断片や着想をハサミで切り張りしてメッセージ原稿にまとめていました。ですから《読み》−《考え》−《書き》−《切り》−《配列し》−《貼り》−《推敲》−《訂正》−《清書》−《訂正》−《清書》という一連の作業が毎週のメッセージ準備でした。しかし、メッセージはこうした単純なプロセスで出来ることは希です。この後に何度も《訂正》−《清書》−《訂正》−《清書》 … の続くことが普通です。その度に紙を取り出しては、書き付け、消しゴムで訂正し、ハサミで切り貼りし、また訂正し … という作業が延々と続きました。メッセージができあがる頃には、机の上は紙きれと消しゴムのかすでいっぱい、というのが毎週繰り返される私の作業でした。

 エディタはこの作業を飛躍的にに軽減してくれました。具体的には上に述べた一連の作業のうち、《読み》−《考え》は従来通りですが、それ以降の《書き》−《切り》−《配列し》−《貼り》−《推敲》−《訂正》−《清書》をすべて画面上ですることによって、作業が非常にスムーズになったのです。なぜなら、「エディタ」と呼ばれる種類のパソコンソフトの最も得意とするものの一つが、切り貼りの作業だからです。これは「カット・アンド・ペースト」と呼ばれています。ただし、エディタの機能はそれだけではなく、その名前「編集者」が示すように、文書の編集に必要な機能がたくさんあり、いったんそれらを使い始めるともはや手放せなるなるほどの素晴らしい働きをしてくれます。

 いろいろなエディタ・ソフトウェアが市販されています。また、シェア・ウェアでは「秀丸エディタ」が超有名なものとして多くの人々に使われています。是非、自分の手になじんだエディタを持つことをお奨めします。

《データ整理法へ》

   ホームに戻る