その仇（あだ）を報ゆるなかれ。退きて主の怒りを待て。

　そは、しるして「主のいいたまいけるは、仇をかえすは

　われにあり。われ必ずこれを報いん」とあればなり。

　このゆえに、なんじの仇もし飢えなばこれに食らわせ、

　もしかわかばこれに飲ませよ。なんじ、かくするは、

　熱き火を彼の頭に積むなり。なんじ、惡に勝たるるなかれ、

　善をもて惡に勝つべし

　

「その仇を報ゆるなかれ」と、まず一般的に説き、次に「退きて主の怒りを待て」という。原語には「怒りに場處を與えよ」とありて、特別にたれの怒りともことわつてない。しかし五章九節にもただ「怒り」とのみありて、�~の怒りを意味してゐる。かつ十九節後半の舊約引用に照らして見ても、これは明らかに�~の怒りを意味してゐるのである。�~の怒りに處を與えよである。�~をして、充分に罰すべきを罰せしめよ。われを苦しむる敵に對しては、われより報ゆるなかれ。�~にその怒りを注ぐべき餘地を與えおけ。敵は必ず�~の罰に会するであろう。ゆえに、われらは敵に對して何ら報復の道を取るを要しないというのである。これが正しい見方と思う。

　この怒りを人の怒りと見る學者がある。そのうち甲はこれを「敵の怒り」と見て、敵をして勝手に怒らせておけとの意に取り、乙は「なんじの怒り」と見て、なんじの怒り（すなわち復讐心）をおさえよとの意であると見る。しかし、前後關係の上から、この兩説は共に誤まつてゐると思う。「怒り」はやはりこの場合「�~の怒り」でなくてはならない。「仇をかえすはわれにあり。われ必ず報いん」との舊約引用は、申命記三十二章三十五節（ギリシャ譯）である。�~は惡をなす者を必ず罰すという意味を傳えた語である。惡しき者に對して處分を施すは�~のことである。われを苦しむる惡しき者を、彼は必ず罰したもう。ゆえに、これが處分をいっさい彼にまかせて、われら自身仇をかえすことはさしひかえよという意味である。次に、二十節の「なんじの仇もし飢えなば、これに食らわせ……」は、箴言二十五章二十一、二節よりの引用である。最後に、パウロは「なんじ、惡に勝たるるなかれ。善をもて惡に勝つべし」との有力なる語を述べて、この重要にしてうるわしき勧めの語を閉じたのである。

　敵を愛するの�ﾍえは必ずしもキリスト�ﾍに限らない。他の宗�ﾍ、他の道�ｺにおいても、これは美として勧められてゐる。ただ注意すべきは、キリスト�ﾍにおいてはキリストの生涯が愛敵の結晶であることである。パウロがロマ書十二章にこの�ﾍえを説いたのはもちろん彼の創始ではない。キリストの�ﾍ訓および生涯にならつてのことである。キリストは、山上の垂訓中、マタイ傳五章四十三節以下において、明白に愛敵の�ﾍえを説き、またそれに似たることを、同三十八節以下において説いてゐる。これは彼の�ﾍえであるがゆえに、ロマ書におけるパウロの�ﾍえよりはもちろんうるわしく、かつ意味に深みがある。そして兩者を照らして見て、キリスト�ﾍの愛敵の�拐~を知ることができる。キリストの生涯が愛敵實行のそれなりしことは、だれも知るところである。されば彼を信ずる者は、彼の生涯にならい、また彼の�ﾍ訓にかなうよう、愛敵の道において遺憾なからんことを努めねばならぬ。祈つて聖靈の助けを受け、もつてこれを實行し得るに至らねばならぬ。

　しかるに遺憾なるは泰西二千年の歴史である。キリスト�ﾍを國�ﾍとして選び、�ﾍ会を立てて宗�ﾍ�ﾍ育を施し、王はキリストの道を守ることを誓いて即位し、また異�ﾍ國を�ﾍ化せんとして宣�ﾍ師を派遣す。しかるに愛敵の道において全然缺けたるは何ゆえであるか。敵とあれば極度の憎惡（ぞうお）をもつてこれを倒さんとし、自己の利権を擁護するために不義の戰いを起こして盡くる時を知らない。共にキリストにある兄弟姉妹でありながら、各民族の間に憎惡嫉妬の心強く、互いに他を苦しめておのれを利せんとしてゐる。しかして事はこれのみにとどまらない。力なき未開または野蠻人を苦しめて、自國および自國民の利欲をたくましゅうしつつ今に至つた。近世期の初め、スペインがアメリカおよびメキシコに土人をしいたげしを始めとして、英、佛、独、米、相競つて世界いたる處に弱き民をしいたげつつ來たつたのである。愛敵は愚か、何らわれに敵對せざる平和の民を捕えて、白刃をふるい銃丸を放つたのである。キリスト�ﾍ國とは名のみである。彼らにしてキリスト�ﾍ國民たらば、惡魔もまた天使たるのである。彼らの罪惡は歴史のページの上にあざやかに残りて、永久にその不信背逆をものがたつてゐるのである。

　しかり、いわゆるキリスト�ﾍ國は眞のキリスト�ﾍ國ではない。�ｉｹを委託せられたる歐米民族は、かえつて�ｉｹの明白なる�ﾍ訓にそむいてゐる。しかしながら、この事は聖書の�ﾍえの値を一毫（いちごう）も減ずるものではない。信者と稱する者がこれをおこなわずとも、これはぜひともおこのうべきものである。他人（ひと）はどうあつてもよい。われらはこれをおこのうべきである。おこなわねばならぬのである。キリストの誡めなるがゆえにこれをおこなわねばならぬのである。そしてこれ決して退嬰的（たいえいてき）の弱き道�ｺではない。ニイチェがこれを弱者道�ｺとして擯斥（ひんせき）したのは、その眞意を知らなかつたからである。これは、復仇する以上に力を要することである。人間自然の情にまかせるはむずかしきことではない。自然の情は、憎みに報ゆるに憎みをもつてせんとする。しかるに憎みに報ゆるに愛をもつてするのは、自然の情に打ち勝つて、聖靈の恩化に浴して初めて可能なる事である。敵の憎みの力に打ち勝つだけの力がわれにあつて初めて敵を愛し得るのである。ゆえに、これすこぶる積極的、進取的の道である。これを消極的、退嬰的と見る者のごときは、この�ﾍえの眞意味を知らざるものである。

　「なんじ、かくするは、熱き火を彼の頭に積むなり」とは、何を意味する語であるか。熱き火を頭に積むということは、激しき苦痛を與えるということである（ヘブライ人、アラビヤ人の間においては、この語をこの意味にて用いしという）。しかし何の意味の激しき苦痛であるかが問題である。ある人は、�~より來たる刑罰と見る。すなわち「仇をかえすはわれにあり」とあるごとく、�~は必ず敵を罰したもうゆえ、みずから仇を報いざるは、�~をして彼の上に大苦罰を與えしむるゆえんであると見るのである。けれどもこれははたして敵を愛する道であろうか。これはかえつて敵をのろうことではないか。かつまた次の節の「善をもて惡に勝つべし」との�ﾍえと矛盾する。ゆえに、多くの學者のいうごとく、敵に激しき苦痛を與えるというのは、敵をして深く慚愧（ざんき）せしむることを意味するに相違ない。パウロはいうのである、「なんじ、敵に復讐せんと欲するか。さらばここに最上の道がある。決して憎みをもつて敵に對するなかれ。むしろ敵に對するに愛をもつてせよ。飢えなば食らわせ、かわかば飲ませよ。これは、熱き火を彼の頭に積むことである。すなわち、彼に慚汗、背をうるおして身の置き處もなきほど痛悶せしむることである。この時の彼の良心の苦痛はいかに激しいことであろうか。かく彼を苦しめれば、なんじの復仇の目的は達したではないか。さらば敵を愛するは、敵に復仇する最上の道である。ゆえに復仇を望まば敵を愛せよ。しかして彼をして慚悔せしめよ」と。すなわち善をもつて惡に報いて、敵の頭に痛恨の熱火を起こせよというのである。

　最後にパウロはいう、「なんじ、惡に勝たるるなかれ。善をもて意に勝つべし」と。敵の加えし惡に負けて、惡をもつて惡に報ゆる態度に出づるなかれ。なんじの愛と善とをもつて敵の惡を征服せよとの意である。惡に報ゆるに惡をもつてするは、惡に負けたのである。何をも報いないでただ忍んでゐるのは、戰わないことである。善をもつて惡に對するのが、惡と戰つて勝つことである。怨みに報ゆるに�ｺをもつてし、憎みに對するに愛をもつてし、惡に對するに善をもつてすること、これが愛敵の�ﾍえである。ゆえに愛敵はただ敵を愛するということだけにとどまらない。惡と戰つてこれを滅ぼすという壯快なる戰いの意味が主となつてゐるのである。

　この�ﾍえは實行して初めて値あり、また實驗して初めてその眞なるを知り得るものである。敵に会しては愛をもつてするが最上の道であること、人生の實驗に照らして明らかである。惡に對するに惡をもつてすれば、底止するところを知らない。敵の惡はますます増大し、自己の惡もまたますます増大する。相互の憎惡憤怒はその激怒を増すのみである。敵に對して愛をもつてせよ。われを憎む者を愛し、われをのろう者を祝し、われを苦しむる者に幸�ｂﾌいたらんことを祈れ。わが愛心を注ぎ出だして彼のために盡くせ。しかるときは敵の惡はやむであろう。あるいは進んで懺悔（ざんげ）の涙が彼の目より流れ下るであろう。そしてこれは推測ではない。幾人かの實際に經驗せしところである。まことに恨みに對しては愛をもつてするほか道はないのである。

　この愛敵の�ﾍえのうるわしきものがたりとして、詩人ローエルの作なるYussouf（ユスーフ）なる一篇をここに紹介したい。これ、おそらくはイエスおよびパウロの愛敵の�ﾍえに對して與えられたる、幾多學者の註解にまさる最上の註解であると思う。ユスーフ（ヘブライ名のヨセフ）はアラビヤの酋長（しゅうちょう）であつた。あだかもヨブ記の主人公ヨブのごとく、その富と信仰と�ｺ行とをもつて聞こえし人であつた。ある夕、見知らぬ人が彼の幕屋に來た。そしていうた、「私は私の命を求むる者に追われて死の危険の中にある者である。のがれ來たつたけれども、枕（まくら）する處がない。それで私は善人とあだ名されてゐるあなたの處に來たのである。どうか一夜の宿りと糧（かて）とを惠んでください」と。これに對してユスーフは答えていうた、「この茶屋は私のものである。しかしまた�~樣のものであります。おはいりください。そしてゆっくりとやすんでください。そして私が�~樣の物を自由に頂いてゐるように、あなたは私の物を何でも自由にお取りください。彼は、私どものこの幕屋の上に、夜と昼のうるわしい大空をかけています。そして彼の戸口ではだれもいなと拒まれたことはありません」と。ユスーフは、�~の大愛の下にあるがゆえに、またたれに向かつても愛を注がんとするのである。かくして逃避者は彼の手厚き保護の中に受けいれられたのである。

　その夜、ユスーフは心をこめて客人を歡待した。翌朝いまだほの暗きうちに、ユスーフは客を起こしていうた、「ここに黄金がある。また第一等の駿馬（しゅんめ）にはすでに鞍（くら）が置かれてゐる。早くお逃げなさい。日の出ぬうちに早く早く」と。昨夜よりのあまりのしんせつに客の心は動かされた。いい知らぬ感動が彼の心を波打たせた。彼の心の中にはあらしのごとき動揺が起こつたらしく見えた。彼はひざまずいて、ユスーフの手の中にその前額を埋めて、すすり泣きしながらいうた、私はこうしてここを去ることはできない。私はあなたに報いねばならぬ。私こそあなたの一子を殺したイブラヒム（ヘブライ名のアブラハムか）であります。どうか私の命を取つて復讐してください」と。ユスーフは知らずしてその子の仇敵を隠まい、かつもてなしたのであつた。けれども彼は靜かにいうた、「その黄金を三倍にして與えよう。これで、あなたと共に私の惡念もまた砂漠の方に行つて再び歸らないであろう。私は殺された子のことを忘れず、また仇を討とうと長年考えていた。しかし今その子の敵を厚遇したことがすなわち復仇したことである。これが最上の復讐である。これでもう私のいやな心も失（う）せてしまつた。實にありがたいことである」と。そしてまた死せる子のことを想起していうた、「わが長子よ、すべて�~の定めは正しい。おまえの復讐は今りっぱにできた。どうか安らかに眠つてくれ」と。これがこの詩の語るところである。わずかに三十行より成る短詩ではあるが、その�ﾍうるところは深いのである。

　インド独立運動の指導者ガンジーが最近捕えられたということである。彼は三億のインド人を率いて、インドを英國より独立せしむることのために努力奮闘してゐる。彼の独立運動は、かつてなきほど英政府を震駭せしめてゐるという。彼はイエスの愛敵の�ﾍえに堅く立つてゐる。決して武器をもつて英國に對して反抗はしない。すなわち叛亂ということを堅く避けてゐる。彼は平和的に独立の實現さるる日を待ち望んで、その招來のために苦闘してゐる。彼は英國宜�ﾍ師の�ﾍうるところの聖書の�ﾍえに從つて、堅く無抵抗を主義としてゐる。決して英政府とその官吏とに反抗しない。そしてこの主義を極力インド人に向かつて吹きこんでゐる。すべての英官吏の命令に服せ、すべての課税の要求に應ぜよ、壓制であつても暴虐であつても、それに反抗せずして、これに服せよと�ﾍえる。彼は、英政府のインドにおいてなすところが全然聖書の�ﾍえにそむけることを主張してゐる。しかしこの暴虐に對しては全然抵抗しないと宣言してゐる。またそう�ﾍえてゐる。實に無抵抗主義をもつてする独立運動である。

　三月二十九日（一九二二年）發行のアウトルック誌によれば、ガンジーは最近において六カ年の禁錮（きんこ）をいいわたされた。その審問に際しての彼の態度は實に見上げたものであつた。彼はいうた、自分のおこないが罪に値すると判事が認めたならば、いかように處罰されてもそれに服する、けれども出獄の後は、無抵抗を信條として独立の宣傳を続けると。そして英政府はこの不當の處罰を彼に課したけれども、インドの民は、彼の平生の�ﾍえにより、何ら叛亂を起こすようの事なくして、靜粛の中に暮らしてゐるという。彼の感化衰えざるかぎり、インド人はキリストの愛敵の�ﾍえを實行しつづけるであろう。かくしてこの聖�ﾍ訓は初めて國際的に實行されんとしてゐるのである。いわゆるキリスト�ﾍ國においていまだ國際的に實行されない宗�ﾍが、ここに、彼らの蔑視（べっし）しつつある未開の異�ﾍ徒によつて、國際上に實行されんとするのである。恥じよ、有名無實のキリスト�ﾍ徒らよ！

　かの、いたずらに信仰個條を高調し�ﾍ義の純正を誇るも敵を愛するの道を顧みざる者のごときは、いまだキリストの心を知らざる者である。�ﾍ義の純正を誇る�~學者何者ぞ。キリストは一度もかかることを誇つたことはない。しかし彼は愛のため、そのすべてを−−その生命をまで−−ささげた。彼を信ずる者は愛の人にならねばならぬ。敵を愛し得る人にならねばならぬ。しからずしては、�ﾍ義の穿鑿（せんさく）も聖書の研究もすべて無益である。愛敵の人ならずばキリスト�ﾍ徒でないのである。しかるに今やキリスト�ﾍ國と自稱キリスト信者とは少しもこれをおこなわない。これ自己の僞善を暴露してゐるのである。

　

　

第五十二講　約　　　説

愛敵の道（十二章十九節以下）

　

　申命記三十二章三十五節にいわく、「彼らの足のよろめかん時に、われ、仇（あだ）をかえし、報いをなさん。その災いの日は近く、それがために備えられたる事はすみやかにいたる」と。詩篇九十四篇一節にいわく、「エホバよ、仇をかえすはなんじにあり。�~よ、仇を報ゆるはなんじにあり。願わくば光を放ちたまえ」と。いずれも、敵をさばきたまえとの祈願である。パウロはここに、舊約の舊（ふる）いことばを新約の新しい�拐~をもつて引用したのである。

　「退きて、主の怒りを待て」。原語には「怒りに場處を與えよ」とあるのみである。「怒り」は、敵の怒りとも、また�~の怒りとも見ることができる。敵の怒るがままに放任せよ。またはなんじの怒りをもつてせず、�~の怒りをもつて敵の怒りに應ぜしめよ。いずれにせよ、無抵抗を勧めたることばである。

　「なんじの仇もし飢えなば……」、箴言二十五章二十一、二節より引きたることばである。「なんじの仇もし飢えなば、これに糧（かて）を食らわせよ。もしかわかば、水を飲ませよ。なんじ、かくするは、火をこれが頭に積むなり。エホバ、なんじに報いたもうべし」と。これに類したる�ﾍえが、�~がモーセをもつてイスラエルの民に傳えたまいしものの中にある。いわく、「なんじもしなんじの敵の牛あるいはろばの迷い去るに会わば、必ずこれを引きて、その人に歸すべし。なんじもしなんじを憎む者のろばの、その荷の下に倒れ伏すを見ば、これを捨て去るべからず。必ずこれを助けて、その荷を解くべし」（出エジプト記二三・四 〜 五）と。ゆえにこれは新しい�ﾍえではない。舊い�ﾍえである。これに類したる�ﾍえがインドにもシナにもあつた。キリスト�ﾍのみの�ﾍえではない。バラモン�ﾍも囘�ﾍも儒�ﾍもこの事を�ﾍえた。

　しかしてキリストはこの事を�ﾍえしのみならず、これを實行したもうた。マタイ傳五章四十三節以下は、愛敵を�ﾍうる有名なることばである。彼は、彼を捕えんとて來たりし祭司の長のしもべにして、彼の弟子の一人にその耳を切り落とされし者をあわれみ、「その耳にさわりて、これを癒やしたり」（ルカ傳二二・五一）という。彼はまたおのれを十字架につけし者らのために祈つて、いいたもうた、「父よ、彼らをゆるしたまえ。彼らはそのなすところを知らざればなり」（ルカ傳二三・三四）と。しかしてこの實際を目撃せしペテロは、後に至り同信のともがらを�ﾍえていうた、「キリスト、なんじらのために苦しみを受け、なんじらをしておのが跡に從わしめんとて、模範をなんじらに残したまえり。彼、罪を犯さず、またその口に僞りなかりき。彼、ののしられてののしらず、苦しめられて激しきことばを出ださず、ただ義をもておのれをさばく者にこれをまかせたり。彼、木の上にかかりて、われらの罪をみずからおのが身に負いたまえり」（ペテロ前書二・二一以下）と。

　かくのごとくにして、キリスト�ﾍは徹頭徹尾、無抵抗愛敵主義である。これ、はたして實際的に可能なるやいなやは問うところでない。キリスト�ﾍはかく�ﾍうるものであることは明白である。キリスト�ﾍ國によつて公然と戰争がおこなわれ、�ﾍ会は戰勝を祈り監督は軍旗を祝�ｂｷるというがごとき、こんな矛盾はない。ヴィクトリア女王は、聖書をアフリカ土人の酋長（しゅうちょう）某に示し、英國はこの書の上に立つといわれたというが、しかし英國はその長き歴史において公々然として聖書の明訓にそむき、剱をもつて弱者を征服し、その領土を奪い、しかして今なおその不義を継続しつつある。一八三九年と一八五七年とに二囘、シナに對していわゆるアヘン戰争を起こし、無辜（むこ）の民二萬を殺し、アヘンを強（し）い、償金を課し、國内において、キリスト�ﾍの傳播（でんぱ）を自由ならしむ。日本の生麦（なまむぎ）において、薩摩の武士がその商人二人を殺せしとの理由をもつて、軍艦を送つて鹿兒島を砲撃せしめし英國は、シナやインドに幾萬の民を殺して、特別に罪の悔い改めの苦痛を感じないのである。しかしてこの英國が歐米諸國の中にありて最も善き國であるという。ある英國の宣�ﾍ師が、日本のキリスト信者を評し、日本はキリスト�ﾍを受けてよりいまだ百年に滿たず、ゆえに日本人はとうていキリスト�ﾍを解するあたわずというたとのことであるが、日本人愚かなりといえども、マタイ傳五章四十三節以下、ロマ書十二章十九節を解するに難（かた）くない。しかして聖書のこれらのことばに照らし合わせて、英國が國として決してキリスト�ﾍ國でないことを知るに難（かた）くない。もし、英國派遣の宣�ﾍ師が余輩に�ﾍうるがごとくに、聖書は實に�~のことばであるならば……しかして余輩は�~のことばであると信ずる……英國は國として決してキリスト�ﾍ國ではないのである。

　しかしながら、英國がキリスト�ﾍ國でないことは、われらがクリスチャンたらざる理由とならない。われらは�~のもろもろのあわれみにより、われらの敵に抵抗せざるのみならず、さらに進んで彼を愛すべきである。惡をもて惡に報いざるだけにては足りない。進んで、善をもて惡に報ゆべきである。ここに至つて愛は完成（まっとう）せられ、われらは天にいますわれらの父の全きがごとくわれらも全くなり得るのである。愛敵は、弱きがゆえでない。強きがゆえである。われらは争闘（あらそい）を萬物の造り主なる�~に引き渡して、みずから敵を苦しむるの必要がなくなるのである。「仇をかえすはわれにあり」と�~はいいたもう。しかして�~がわれらに代わりて仇を報いたもう時に恐るべきものがある。ゆえにわれらは彼らのために祈り、彼らに加えらるる刑罰の輕からんことを願うのである。

　「熱き火を彼の頭に積むなり」とは、未來の裁判において重刑がわが敵に加えらるるその因を作るということではない。恩（めぐみ）をもて怨みに報いられて赧顔（たんがん）に堪えざらしむということである。まことにかかる場合において熱湯を頭に注がるるがごとく感ずる。刑罰の熱火ではない。悔い改めに導く羞恥（しゅうち）の赤面である。