第七講 問題の提出(一)
− 第一章十六節、十七節の研究 −

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 第一節 〜 七節は自己紹介、八節 〜 十五節はあいさつであつた。このあいさつは前講のごとくすこぶる意味ふかきものであるが、それにしても一のあいさつとして述べし語たるにすぎない。然るに、十六節、十七節に入つて、パウロは重大なる語を掲出して我らをおどろかすのである。多くの學者は、この兩節をもつてロマ書の主題の告知であるとなしてゐる。まことにロマ書の主題がここに提出されたのである。言う、「われはiケを恥とせず、このiケは、ユダヤ人をはじめギリシア人、すべて信ずる者を救わんとの~の大能たればなり。~の義はこれにあらわれて、信仰より信仰に至れり。録(しる)して、義人は信仰によりて生くべしとあるがごとし」と。
 
 まず注意すべきは、この問題提出の仕方である。パウロは十五節において「このゆえに、われ力をつくして、iケを汝らロマにある人々にも傳えんことを願う」としるし、次ぎに十六節の劈頭に γαρ(ガル 何となれば)なる一語をはさみて、十五節の理由として十六節の第一句を述べたことを示してゐる(邦譯聖書にはこの接続詞を省いてあるが、英譯聖書には for の一語がある)。すなわち彼はあいさつをすでに終えしがごとく、まだ終えざるがごとくにして、いつとはなしに主題の提起に移り行くのである。表面に主題告知とせずして、あいさつの中とも外ともつかぬあたりに、きわめて自然にこれをなしたのは、まことになめらかなやりかたである。これは知らず識らずのあいだに讀者に心の準備を與うる道であつて、パウロの練達せるヘ育家なることを示すものである。
 
 なお注意すべき一事がある。この書をしたためしころは、パウロが信仰に入りてのちすでに二十餘年を經過していた。そして彼はこの期間の大部分を傳道に用いた。從つてこのときまでにおいて、反對者と論争をなせし囘數は無數に達したに相違ない。執拗なるユダヤ人と、理知に強きギリシア人とにかこまれての彼の孤獨の奮闘を思うとき、その論戰の激しさは推し測らるるのである。彼の書翰は多くかくのごとき戰塵の濛々たるあいだにしるされたのである。從つておのずからそこに砲煙の香り、弾雨のひびきをとどむるのである。味方に送る書翰においても、彼は自然と敵を前にして論陣を張るがごとき趣きを示し、いついかなるところから論敵があらわれても攻撃の隙を見出し得ないような論法を採ることが多い。かくのごとき緊張味をもつてしるされし彼の書翰なれば、眞理の無盡藏たるのである。その上、ロマ書のごときは彼の五十歳臺の作として、すでに二十餘年の戰いを經しのちの書なれば、人生の戰いを長くなせし勇士の筆のつねとして、一語、一句、一節の中にも、眞理が豐かに包藏せられてゐるのである。いたずらに冗長なるは、戰いの經驗すくなき未熟者の筆である。老雄の筆は簡頚(かんけい)にして力と生命とに富む。この十六節、十七節のごときは、第一章劈頭の自己紹介とともにその好標本である。
 
 まず十六節を原文のままに譯するときは
 
 
となる。今これを原文の順序を追うてしるせば左のごとくなる。
 
そは、われ恥とせず、iケを、何となれば、こは(このiケは)~の力たればなり、救いに至るべき、信ずるすべての者には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも。
 
 ロマ書をしたためたるときは、パウロがコリントにおいて傳道していたときであつた(使徒行傳二〇章二節、三節を見よ)。假りにパウロが右の語を、ロマの信者ならで、コリントの聽衆に向つて發したとして見よう。かならず種々の批評が起つたことであろう。コリントと言えば、人口七十萬を有する大都にして、實業の都であるとともに哲學文藝の都であつて、富者あり貧者あり、自由民あり奴隷者あり、學者あり無學者あり、實業家あり藝術家あり、まことに各階級の人を網羅せし都であつた。さればパウロの聽者もまた多種多樣であつたに相違ない。
 
 かかる聽衆に向つて、まず「そは、われiケを恥とせず」と言うたならば、各種の批評があらわれたことであろう。信者のある者は、これをもつてパウロに似合わぬ弱き語となして、不滿に感じたであろう。「姦惡なるこの世において、われとわが道(ことば)を恥ずる者をば、人の子もまた聖き使いとともに父の榮光をもて來るとき、これを恥ずべし」とはイエスの警(いまし)めであつた、iケを恥じざるは、クリスチャンにおいてもとより當然のことである、今さらこれをあらためて宣言する必要がどこにあろうか。これ無用の言たるのみならず、また實に弱々しき語である、「われはiケを譽れとす」と積極的の言い方をせずして、「恥とせず」と消極的に言うたのは、力なき態度ではないかと。多分、信者の中にても、無學なる者または淺薄なる者は右のごとく評したであろう。
 
 しかし多少の思慮ある者は、この語を聽いてかえつてパウロに對する敬意を増したであろう。また不信者の中にも、これを弱き語と見る者もあり、あるいはまた謙遜なる語としてかえつてパウロを推賞する者もあつたであろう。まことに問題となるべき語である。
 
 次ぎにパウロは右の理由として「何となれば、こは~の力たればなり」と言うた。聽衆中の哲學者は、ただちに抗議を提出したであろう、「力」とは何事ぞ、力には善き力もあり、惡しき力もある、力たることは決してそのことの眞理たるを示さない、もしキリストヘが大體系(great system)であるというならば、我らはそれに特別の敬意と注意とを拂おう、しかしただ力であるということなれば、その低級なるヘえたること明らかであると。次ぎに、その力は「救いに至るべき」力であると聽いて、彼らはまた救いとは無意義なことであると評するであろう。「信ずるすべての者には」と言えば、信仰なるものは迷信である場合多く、到底識者の貴ぶものではないと言うであろう。そして最後に「ユダヤ人をはじめギリシア人にも」と言わるれば、この全く異なる二人種を一括して一と見しパウロの態度に不服を唱うるであろう。かく、十六節は種々の批評を喚起し得べき語である。不信者よりは勿論、信者のある者よりさえも。
 然らば次ぎの十七節は如何。これすべての人を首肯せしむべき善き語であろうか。今これを原文のままに譯するときは
 
 
となる。さらに原文の順序のままにこれを譯せば、左のごとくである。
 
 そは ~の義は これにおいて あらわれたればなり 信仰より信仰にまで、かく録されしがごとし、「義人は信仰によりて生きん」と。
 
 この十七節に對しても、識者は勿論種々の批評をくだすことであろう。ある人々にとつては、第一「~の義」という語がはなはだ喜ばしからぬ語である。~の恩惠と言い~の愛と言うて初めてiケの本義をあらわし得べきに、~の義と言うは、すなわち~の怒り、~の懲罰と一致するらしき語にして、もつとも厭わしき語であると言うであろう。~の恩惠と愛のみを喜び、その義を好まぬ者は、かならず右のごとく言うにちがいない。次ぎに「あらわれたり」とは、人間の努力の結果到達したのとは全く正反對であつて、上より啓示されたというのであるゆえ、人類の眞理探究という貴重なる努力を無視するきらいがあると言うであろう。また「信仰より信仰まで」と、信仰をもつて終始するごとき口調は、もつとも厭わしきものであると評するであろう。そして最後に聖句を引いて自説を支持せしめしを見て、聖書の言を無批評に眞理とするは、唾棄すべき盲目的態度であると貶するであろう。
 
 以上のごとき反對や批評を起しやすき語を、パウロがここにロマ書の主題として掲出するのは、いかにも拙劣なる、または意地わるきやりかたであるように思われる。さりながら、ふしぎなるはパウロの言である。理論においては反對すべきいくつもの箇處を見出す人といえども、どこかそこにある貴きものがあるごとく感ぜられて、我にもあらで彼の言にひきつけられるのである。多分コリントの多くの聽者はかくのごとき心理状態において彼をはなれ得なかつたのであろう。この十六節、十七節のごときは、たしかにこのパウロ的特徴の色濃きものであると言うべきである。
 
 「われはiケを恥とせず」の一語をもつて弱しとなすは淺き見方である。これをパウロの學識と經驗と愼慮との背景においてながめて、その強烈なる語たることがわかる。彼は、世界を知らずしてひとり己れを高しとするユダヤ人ではなかつた。彼は、時代の文化の偉大を知らずしてわが信ずるヘえの偉大をのみ知る無學漢ではなかつた。彼は世界を知つていた。彼はギリシアの文化とロマの政制の優秀なるを知つていた。その哲學と科學と藝術との偉大を知つていた。その内にひそむ思想において、その外にあらわるる事業において、當時の文化は燦として日月とその光輝を争わんとする概があつた。盲者蛇に怖じずと言う。盲者ならぬ彼は、蛇に對する警戒をせねばならぬ。勿論彼の信ずるiケは黙示にもとづくものであつて、人間探究の成果ではない。この點において、人間の努力の總積に名を與えたる文化というものとは全然性質を異にせるものなることは、彼においてきわめて明白であつた。しかしながら、當時の文化の偉大を知り、かつある意味においてこれに敬意を抱ける彼は、iケをたずさえてこの文化の中心に投ぜんとして、いかに遠桙ネる考慮と準備とを要したことであろう。すべての哲學思想に訴えてもiケ的宇宙觀の優逸なるを證し、あらゆる科學的探究に比してもiケ的眞理の確實なるを示し、この世のありとあらゆる力にくらべてもiケの力の絶倫なるを唱えんがためには、勿論それ相當の準備なきを得ないのである。ロマ府を志せし彼は、はるかにこの知識と能力の中心地を望み見て、自己の小なるを痛感し、あるときはあたかも一個の爆弾をたずさえて百萬の敵軍に突入するがごとき戰慄を感じたことであろう。まだiケがユダヤの一地方ヘと見なされいたるときにおいて、ロマ大帝國のすべての文化と権力とを敵として、それらを排逐して代るべき人生の原理としてiケを提示せんとす。人の眼より見ていかに無謀の極であつたであろう。さればさすがの彼も、いくたびかおそれ、ためらい、苦しみ、惱んだことであろう。しかもかくのごとき心の經過を味わいてのち、ついに準備ことごとく整い、確信全く成りて、「われはiケを恥とせず」の一句を發す。げに壯烈高貴の語と言うべきである。
 
 この世の知識に富み、人生の經驗に豐かなりし彼パウロが、その抱けるあらゆる知識と經驗とに訴えてiケの確實性を了知し、この世の力という力をことごとく集めたるらしき尨然(ぼうぜん)たる大帝國を前にして、身は一箇卑賤なる天幕工をもつてして、「われはiケを恥とせず」の一語を發す。これを今日において讀みて、我らはこの語の貴さを知るとともに、この語を發したる彼に百萬の援兵を見出したるがごとき感なきを得ない。
 
 然らばiケを恥とせぎる理由如何。「何となれば、こは~の力たればなり」とまず言う。iケは「力」である。そして人の力ではない、「~の」力である。この世の哲學と比せよ。「力」と言うがすでに特異なるに、さらに「~の」と附加して、二重の特異となるのである。「それ十字架のヘえは、亡ぶる者には愚かなるもの、われら救わるる者には~の力たるなり」(コリント前書一章十八節)とパウロはかつて言うた。iケは哲學にまさる大宇宙觀である。しかしiケは哲學のごとき單なる思想の體系ではない。iケは實に~の力である。ここにiケの特色がある。パウロは思想家であつた。しかし思想家たる以上に實驗家であつた。ゆえに思想の完全とか徹底とかいうことよりも、まず求むるところは人生においての力の有無如何に存した。「ギリシア人には愚かなるもの」と見ゆるも、それはiケの力たるを知らぬ人の淺き見方である。ゆえにひとたびこれが人を救う力たることを知りし上は、これは「ギリシア人にも…~の力また~の智慧」たるのである。
 
 iケは力である、~の力である。「力である、そはiケはある事をなし得るからである。~の力である、そはそのすべての約束を果し得るからである」(ホフマン)。「~の力と言う、大にして榮えあるものである」(ベンゲル)。悔い改め、信仰、慰藉、愛、平安、歡喜、勇氣、希望 ── この世の哲學倫理の供し得ざるもの ── これを與うる力がiケにある。肩書にこの力があるということが、その~の眞理たる一語である。世の哲學者はiケを愚かなるものと見る。しかしキリスト信徒の有する熱心に對しては推賞を惜しまぬ者がある。おそらくは當時の哲學者、思想家らも、パウロに對して、その處説をあざけりつつも、その熱心と勇氣に驚愕の眼を見はつたことであろう。實に彼の生涯そのものがiケの有する力を實證するものであつた。彼はこの力を深く自己において味わいたるがゆえに、文明と権力の都ロマを前にして、「われはiケを恥とせず」と言い得たのである。
 
 「力」の原語は δυναμιs(ドゥナミス)である。英語 dynamics(力學)dynamo(發電機)等はこの語より出でたものであり、またかの dynamite(爆裂弾)もそうである。ダイナマイトは元來罪惡遂行の器として發明せられたものではない。文明の開發を目的として發明せられしものである。近代の文明がいかに鐵道に負うところ多きかを考うるときは、鐵路を通ずべく巌石を碎くダイナマイトの偉功を稱えざるを得ない。一小片をもつて巨大なる岩石を微塵に碎き得るはこれである。ゆえにダイナマイトは力の絶好なる代表者である。iケは實にダイナマイトのごとき力あるものである。これに比しては、倫理道コは、鶴嘴(つるはし)をもつて堅岩を碎かんとするがごとき迂遠なる道である。iケのダイナマイトひとたびわれを打つや、倫理道コをもつては到底除き得ざりし執拗なる我執の巌も飛散し去るのである。
 
 iケは~の力である。ゆえにパウロはiケを恥としないのである。然り、まことにiケは~の力である。しかしその~の力なることは、その力に觸れてみて初めてわかることである。そしてある人はこれに觸れ、ある人はこれに觸れない。從つてiケはある人にとつては力であり、ある人にとつては力でない。然らばそれはいかなる人々にとつて力であるか。パウロは言う、「信ずるすべての者には」その人の救いを生むべき~の力であると。παντι το πιστευοντι(to every one that believeth)である。信ずる者は一人のこらず ── その一人一人にとつて ── iケは救いに至らする力である。信仰 ── これが救濟にあずかるに要する唯一の條件(もし條件と稱し得べくば)である。他に條件は一つもない。ただ信ずるというだけの條件である。そしてその信仰はかならずしも強きを要しないのである。勿論強きを貴ぶけれども、弱き信仰とても、いやしくも虚僞の信仰たらぬかぎりは、その持ち主をして救いに至らしめ得るのである。ただの信仰、~とキリストとに對する信仰、~を父としキリストを主として仰ぎ見ること、それだけで救いに入るのである。
 
 實に簡單である。長き努力によつて、悟道の妙境に到達して救われるのではない、一生涯の努力をもつて、善行を山と積んで救われるのではない。ただの信仰、信頼、それによつて救われるのである。「信ずるすべての者」である。信ずる者は誰でもである。その遺傳の如何は勿論問題とならぬ。その知識、人格、コ行等も勿論問題とならぬ。いかなる惡しき祖先や父母を有する者にても、不幸にしてその脈管の中に汚濁の血をたたうる者にても、ただ信仰によつて救われる。その人格において低き者といえども、ただの信仰によつて救われる。信仰に入りしのちにおいてその人格の向上を生むべきも、そはまた別箇の問題である。同時に、人格において高等なる者といえども、信仰なくば救われない。人格の高下ということは、救いということをはなれて、他の標準においてながむるときは、充分に問題となるのである。ただ救いのことにおいては、これは問題とならぬのである。その他、知識、コ行、技能等、いずれもみな問題とはならぬのである。
 「信ずるすべての者」の一句を、さらに次ぎの十七節と合せ見て、ロマ書の主題の性質が信仰中心なることが察知せられる。この兩節は本館の入口にかかげられたる大標語であるが、これを讀みし者は、まだ本館に入らずして、本館の中心が信仰にあることを窺知(きち)するのである。
 
 信ずるすべての者が救わると言う。まことにiケのiケたる處以(ゆえん)がここに存する。このことの容易に受け納れがたき理由は、それがあまりにありがたきことなるゆえである。多くの人は、何か自己において資格を作りてのち救いの門戸に受け入れられようと計る。從つて自己の無資格を痛歎哀哭(あいこく)するうちに、幾年かの貴き歳月をむなしく流れさするのである。また先天的缺陥を有する者は、この缺陥の蔽いがたきを感じて、救いに關しては全き絶望におちゐるに至る。しかしともにこれ誤れるのはなはだしきものである。遺傳による惡事、先天的の病患、後天的の諸惡、知識とコ行と品性との不足、自己の上に積みかさなりし罪惡の深重 ── いずれもこれわが救いのさまたげとなるものではない。ただの信仰によりて救わる。その信仰の弱きさえも、救いに至るにおいては ── その信仰が持続さえすれば ── さまたげとならぬのである。
 
 かくiケは信ずる者には救いに至るべき力である。このことが本館の戸口に大書せられあるを見て、我らはまずすくなからぬ歡喜と平安との豫感を味わい、本館内部の性質をも察し得るがごとく思われて、かくのごときiケなれば我れのごとき罪人をも救い得との希望をここに抱くのである。
 

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