説教 「泊まる場所がなかった」  

   2002年12月24日 クリスマス・イヴ燭火礼拝説教     
ルカによる福音書第一章26〜38節 第二章1〜7節

牧師 塚本 洋子

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い場桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカ二章七節)

 よく知られているように、クリスマスはキリストのミサ、つまりキリストを礼拝するという意味です。今年の横手教会の「クリスマスは教会で!」というアピールは本来の意味をうたっているわけです。勿論クリスマスと教会は密接な関係を持っているということです。

 神の子であるイエス様の誕生の事実を見ると、静かにささやかに喜ばれた誕生でした。マリアとヨセフが旅行中の出産だったにもかかわらず、泊まる宿も無く、空いている場所がたった馬小屋だけでした。そして、生まれたばかりの赤ちゃんイエス様は飼い場桶に寝かせられたのでした。マリアとヨセフにとってどうにもならない状況でしたが生まれてくる赤ちゃんの誕生には喜びはあります。マリアとヨセフにとって、初めての子供でした。馬小屋であろうと飼い場桶であろうとその嬉しさは変わらなかった。天使が約束した赤ちゃんなのです。喜びというのは状況によって変わらないことをイエス様の誕生は、指し示しています。たとえ、人には言えない状況で生まれた事実があっても、その命は尊いことを意味するのです。

 そのイエス様はさらに家族以外の人々にも喜びを与える存在として成長していきました。それが、聖書の語る「救いの喜び」です。救いとは人が神さまから愛されていることです。イエス様の誕生によって「救い」が実現した。これは、神さまの愛の表現です。イエス様の誕生は、人が生きていること自体が愛されていること、愛されていないと思っている時にも愛してくれる存在がいることを確信していい出来事なのです。クリスマスがうれしいのは、自分の存在を神さまが良いものとして下さることをイエス様の誕生によって約束されているからなのです。

 だからこそクリスマス・メッセージは、貧しい時にも豊かな時にも同じように喜びがあることを伝えます。心が淋しい時にもうれしい時にも変わらず同じ喜びにつながっていることを忘れてはならないと伝えるのです。この喜びは、同様に自分だけではない他者に対しても変わりがありません。人は一人一人はかけがえのない存在です。また、誰も一人で生きてはいけないものです。もし人に居場所が無ければその寂しさ、悲しさは、泊まる場所のなかったイエス様は理解しています。誰も友達がいなくてもイエス様は居場所になってくれるのです。自分だけではなく、自分以外の人も尊い存在であることがクリスマスの約束です。

 
 「住む場所の不足よりも、もっと危機的な不足がある。それは他者のために尽くす人々の不足。あなたはいつも開かれた家となりなさい。」ミッシェル・クオスト

 クリスマスをお祝いできる人は、人を愛する事ができる人です。クリスマスをお祝いすることができるのは、神さまから愛されているからです。クリスマスは、神さまの愛情が誰にでも注がれていることを知らせる一番よい時です。


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